河越氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 00:54 UTC 版)
河越氏(かわごえし)は、日本の氏族の一つ。川越・河肥とも表記されることがあった[1]。
注釈
- ^ 秩父神社に祀られる祖神の知々夫彦を表すという。
- ^ 「秩父別当武基─十郎武綱─下総権守重綱─重隆(川越秩父次郎大夫、家を継ぐ。悪源太のために誅され畢る。)─能隆(葛貫別当)─重頼(河越太郎)─小太郎重房」 — 『千葉上総系図』、[2]
- ^ 「下総権守重綱─次郎大夫重澄─河越葛貫別当能隆─河越太郎重頼(頼朝のために害さる)」 — 『畠山系図』、[3]
- ^ 得宗家は本来ならば将軍の下で一御家人という立場にありながら、烏帽子親関係による一字付与を利用して、他の有力御家人を統制したことが指摘されており[5][6]、その統制の主体である烏帽子親、すなわち有力御家人が一字を賜る相手が将軍から得宗家へ移行したという見解も示されている[7][6](→詳細は北条氏による一字付与についてを参照)。よって、地域棟梁格の有力御家人であった秩父氏[8]の嫡流である河越氏もその統制下にあり、足利氏のケース[9]と同様に、泰重が北条泰時、経重が北条経時、宗重が北条時宗、貞重が北条貞時、高重が北条高時から一字を拝領したと考えられる。
出典
- ^ a b c 太田 1934, p. 1634.
- ^ 太田 1934, pp. 1634–1635.
- ^ a b 太田 1934, p. 1635.
- ^ 山野龍太郎「鎌倉期における河越氏の活動形態」『埼玉地方史』64号、2011年/所収:新井浩文 編著『旧国中世重要論文集成 武蔵国』戎光祥出版、2023年 ISBN 978-4-86403-463-0 2023年、P88-112.
- ^ 紺戸 1979, p. [要ページ番号].
- ^ a b 山野 2012, p. 163.
- ^ 角田 2004, § 偏諱の話.
- ^ 菱沼 2011, p. [要ページ番号].
- ^ 田中 2013, p. [要ページ番号].
[続きの解説]
「河越氏」の続きの解説一覧
- 1 河越氏とは
- 2 河越氏の概要
- 3 桓武平氏秩父氏流の河越氏
- 4 系図
固有名詞の分類
- 河越氏のページへのリンク