源義平とは? わかりやすく解説

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みなもと‐の‐よしひら【源義平】

読み方:みなもとのよしひら

[1141〜1160]平安末期武将。義朝の長男15歳叔父義賢倒して武名をあげ、悪源太称された。平治の乱で父義朝に従って奮戦敗れて美濃逃れた父の死後京都潜入して平清盛ねらったが、捕らえられて斬(き)られた。

源義平の画像
本朝百将伝」より/国立国会図書館

源義平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 04:07 UTC 版)

源 義平(みなもと の よしひら)は、平安時代末期の武将源義朝の庶長子。通称は鎌倉悪源太(悪源太[2]、鎌倉源太とも)。母は京都郊外の橋本遊女[3] または三浦義明の娘[4] であり、源頼朝義経らの異母兄にあたる。墓所は群馬県太田市の義平山清泉寺と伝わる。他にも長野市JR長野駅構内にも義平の墓と伝わる古い石碑があったが縁者による善光寺詣で(頼朝参詣?)の際に建てた供養碑であろう。周辺の地名を源太窪と言うが石碑は他に移されて今はない。


注釈

  1. ^ 埼玉県比企郡嵐山町)など、大蔵館の場所には諸説有る
  2. ^ 実際には信頼らは平家を打つ必要には迫られていなかった。近年の平治の乱に対する研究では、清盛は信西と姻戚であると同時に信頼の息子とも婚姻関係を結んでおり、後白河法皇や二条天皇をとりまく勢力や信西、藤原信頼などどの勢力から見ても中立な立場であるという見方が強まりつつあり、中立の立場にある清盛は信頼らの攻撃の対象ではなかったという見方もある[7]
  3. ^ この義平等の装束については金比羅本等の後出本『平治物語』には記載されているが、古態本には一切出てこない。
  4. ^ 古態本では朝長に信濃へ行くように命じた記載はない。
  5. ^ 古態本には志内景澄は登場しない。

出典

  1. ^ 源義平』 - コトバンク
  2. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 19頁。
  3. ^ 尊卑分脈
  4. ^ 清和源氏系図
  5. ^ a b 元木泰雄『保元・平治の乱をよみなおす』(NHKブックス)
  6. ^ 野口実『源氏と坂東武士』(吉川弘文館)
  7. ^ 元木泰雄「保元・平治の乱を読み直す」
  8. ^ 日下力「平治物語の成立と展開」


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