義平の立場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 22:27 UTC 版)
義平は当時の宮廷社会で軍事貴族として頭角を現しつつあった源義朝の長男であったが、次弟・朝長が保元4年(1159年)二条天皇中宮(後の高松院)の従五位下・中宮大夫進に、三弟・頼朝も保元3年(1158年)に皇后宮少進に任じられたのに対して、官位を得たという記録は残っていない。このことから、義平は義朝の長男であるが嫡子という扱いはされていなかったとされる。これには生母の身分が大きく関与していると見るのが妥当である。
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