元木泰雄とは? わかりやすく解説

元木泰雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/10 13:55 UTC 版)

元木 泰雄(もとき やすお、1954年[1]12月7日[2] - 2024年4月9日)は、日本歴史学者学位は、博士(文学)論文博士・1995年)(学位論文「院政期政治史研究」)。京都大学名誉教授。兵庫県西宮市出身[3]




「元木泰雄」の続きの解説一覧

元木泰雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:05 UTC 版)

源義経」の記事における「元木泰雄」の解説

元木泰雄は従来概ねその記述信用できる考えられていた『吾妻鏡』について近年著しくすすんだ史料批判と、『玉葉』など同時代の史料丹念に突き合わせる作業によって、新し義経像を提示している。 頼朝との関係・父子の義 挙兵当時頼朝は自らの所領子飼い武士団もなく、独立心の強い東国武士達が自らの権益を守るために担いだ存在であったそれだけに、わずかな郎党伴ったに過ぎないとはいえ、自らの右腕ともなり得る弟義経到来大きな喜びであった以後義経は「御曹司」と呼ばれるが、これは『玉葉』に両者は「父子之義」とあるよう頼朝養子としてその保護下に入ったことを意味し場合によってはその後継者ともなり得る存在になった当時頼朝嫡子頼家はまだ産まれていなかった)とともに、「父」頼朝従属する立場置かれたと考えられる頼朝代官として・京都守護 義仲追討出陣義経廻ってきたのは、東国武士たちが所領拡大と関係のない出撃消極的だったためである。義経・範頼はいずれ少人数軍勢率いて鎌倉出立し途中で現地武士組織化することで義仲との対決図った。特に入京にあたっては、法住寺合戦義仲敵対した京武者たちの役割大きかった一ノ谷の戦いも、範頼・義経一元的統率された形で行われたではなく独立した各地源氏一門京武者たちとの混成軍という色彩強かった合戦後義経疲弊した都の治安回復努めた代わりに平氏追討のために東国武士たちと遠征した範頼は、長期戦選択したことと合わせ進撃停滞し士気低下も目立つようになった。これに危機感抱いた頼朝は、短期決戦やむなし判断し義経起用義経見事にこれに応え西国武士組織し屋島壇ノ浦の合戦平氏滅亡追い込んだ。これは従軍してきた東国武士たちにとって、戦功立て機会奪われたことを意味し義経対す憤懣拡大する副産物産み頼朝困惑させた。 決裂と転落・伝説の始まり 頼朝戦後処理の過程で、義経伊予守推挙という最高の栄誉与え代わりに鎌倉召喚し自らの統制下に置く、という形で事態収拾しようと考えた。だがその思惑外れた義経は、平氏滅亡後直後法皇から院の親衛隊長とも言うべき院御厩司に補任され、検非違使左兵衛尉伊予守兼務し続け引き続き京に留まった。後白河は独自の軍事体制構築するために、義経活用したのである治天の君権威背景に「父」に逆らった義経両者の関係はここで決定的な破綻迎える。 義経頼朝追討院宣得たにもかかわらず呼応する武士団はほとんど現れず、急速に没落した。既に頼朝各地武士対す恩賞与えるなど果断な処置講じており、入京以後義経協力してきた京武者たちも、恩賞与えることが出来ない義経には与しなかった。都の復興尽力し義士」と称えられ義経こうした形で劇的に没落したことが京の人々に強い印象与え伝説化一歩となった退去し義経らに代わって頼朝代官として入京し、朝廷介入行ったのは、かつての弟たちではなく頼朝岳父である北条時政であった未だ幼年である頼家外祖父であり、嫡男義時戦功義経奪われるなど、時政義経に強い敵意抱いていたと考えられる。その没落によって、時政頼朝後継者外戚として地位決定付け勢力拡大端緒切り開くことができたのである

※この「元木泰雄」の解説は、「源義経」の解説の一部です。
「元木泰雄」を含む「源義経」の記事については、「源義経」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「元木泰雄」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「元木泰雄」の関連用語

元木泰雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



元木泰雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの元木泰雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの源義経 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS