武士職能論以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 02:10 UTC 版)
1972年の段階で、既に「より総合的な視点が」という指摘はなされていた。上横手雅敬は、髙橋昌明の1971年当時の小論『将門の乱の評価をめぐって』での主張を『シンポジウム日本歴史5』の基調レポートにおいてこう紹介した。 在地領主と、軍事身分としての「侍」とが安易に同一視されて、社会発展史上における領主制の役割と、軍事身分としての侍が果たしてきた歴史的役割とが区別されなかったという批判が生まれているが、この批判はあたっていると思います。 しかし髙橋昌明が「ここでは中心的な問題ではない」というその「ここ」、つまり「武士職能の発生論」ではなくて、「武士」という存在全体、髙橋昌明がいうところの「存在の真の根拠」を理解しようとするときには、在地領主としての存在も無視する訳にはいかない。上横手雅敬は先の記述にこう続ける。 武士団研究を農村史に解消してしまわないことは重要でしょう。しかし、侍と在地領主を区別するのが大切であるとともに、領主と侍の関連づけについても、もう一度考え直してみる必要があると思います。そうしないである一面だけを強調しますと、武士とか武的勢力というものが、社会発展の主流と別個に存在したアウトロー的な妙なものと受け取られかねない一面があります。 その後の1980年代以降では、義江彰夫、関幸彦、元木泰雄その他の方が、それら両論の成果を発展させるべくそれぞれの視点から積極的に論を展開している。そうした流れを踏まえた上で「武士団」を振り返ってみることが重要である。
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