武士職能論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 02:10 UTC 版)
髙橋昌明は、1975年の『伊勢平氏の成立と展開』において、彼らが公的には諸衛府の官人、私的には高貴な貴族の「侍」、世間的には一種の傭兵隊長であったことを、資料に基づき詳細に明にした。 そして武士は京の貴族から生まれた、つまり騎馬と弓箭を中心とした武芸が、奈良・平安時代を通じて、支配階級である都の貴族とその周辺に面々と受け継がれ、それが中世の武士に引き継がれたと言うことを強調した。 高橋はその武士論の前提として、身分を「出生身分」と「職業身分」にまず分ける。「出生身分」とは「イヘ」の社会的格付けであり、公家に仕える下級貴族とその予備軍・侍階級とか言う場合に該当する。そして職業身分とは、平安時代後期の上層階級での社会的分業が、「イヘ」への職能として固定し、その文士、例えば陰陽の家とかいう形で「芸能」としての家業が固定され、官職までが世襲されるようになる段階で、同様に武士という職業身分の類型が生まれるとする「兵(つわもの)の家」「家ヲ継ギタル兵(つわもの)」がそれにあたる。 その整理の上に立って「彼らの経済的基盤がいかなるものであるかは、ここでは中心的な問題ではない。」とに挑戦的に言い切る。しかしそれは髙橋昌明の武士論は自ら語るように、発生論、「武士という職能」の発生論だからであって、髙橋昌明は、「武士」の存在の2つの側面、平安時代後期における社会的背景も十分に承知している。 わかりにくいと言うなら言葉を補う。私の見解は、武士とは社会的分業が家業の形態をとる歴史的段階において成立する職業身分のひとつ、と言う点にある。そして、武士を武士たらしめるのは王権であるけど、その存在の真の根拠は、当該期社会の自力救済的性格とそれがかかえる矛盾にあった。 ただし髙橋昌明がそうはっきり述べたのは1999年になって、他の研究者からの相次ぐ批判・誤解への回答「諸氏の批判に応える」の中においてである。
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