元木昌彦編集長時代
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ヘアヌードを積極的に掲載した。オウム真理教事件や阪神・淡路大震災などの大事件が相次いだこともあり、実売で50万部に落ち込み、週刊誌6位に低迷していた発行部数を1995年には平均発行部数が73万部(実売部数も70万部台に乗せた )。さらに1996年新年号では150万部を発行して、瞬間的には「週刊ポスト」を追い越すまで持ち直す。 政治的には、「週刊ポスト」の親小沢一郎路線に対して、小沢批判の記事を前面に押し出した。この結果、小沢の記者会見からは「週刊現代」が締め出され、講談社で出していた小沢の『日本改造計画』の英訳版の話もなくなる。「週刊現代」が代表したヘアヌード路線は部数に貢献したものの、新聞や宗教団体などから批判を受け、航空会社の機内誌から外される事態にも至った。 1996年新年号にオウム真理教の教祖だった松本智津夫の自白調書を掲載。これまで自白もなく調書も存在しないとしてきた検察と警察の発表を覆す内容となるものであった。これに対して松本智津夫は秘密漏洩罪で告訴し、東京地方検察庁が松本の前担当弁護士を捜索した。さらに講談社へ家宅捜査が行なわれる直前で松本が告訴を取り下げた。親告罪であるため、この件に関する捜査は終了した。新聞やテレビが「週刊現代」に批判的だった一方で、本田靖春などのジャーナリストやミニコミ誌はこれを検察の情報操作と言論の自由に対する威嚇とみなした。 1997年9月に掲載した早稲田大学が凋落したとの記事に対して、早稲田大学側は記者会見を開いて告訴すると発表。当時の総長である奥島孝康は「文藝春秋」の1998年1月号に反論記事を掲載した。
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