重仁親王とは? わかりやすく解説

重仁親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/12 21:17 UTC 版)

重仁親王
続柄 崇徳天皇第一皇子

全名 重仁(しげひと)
身位 三品・親王
出生 保延6年9月2日1140年10月14日
死去 応保2年1月28日1162年2月13日)(享年23)
父親 崇徳天皇
母親 兵衛佐局源行宗養女)
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重仁親王(しげひとしんのう、保延6年9月2日1140年10月14日) - 応保2年1月28日1162年2月13日))は、平安時代後期の皇族崇徳天皇の第一皇子。母は源行宗養女(法印信縁(藤原北家小野宮流季実の子)の娘)兵衛佐局。法名は空性

経歴

親王の誕生前年の保延5年(1139年院政を行う鳥羽上皇の強い意向によって、父である崇徳天皇は自身の異母弟・体仁親王(後の近衛天皇)を皇太弟に立てた。親王は生まれてすぐに体仁親王の生母である藤原得子(美福門院)の養子に迎えられた。乳母平忠盛継室である藤原宗子(池禅尼)。近衛天皇が即位した永治元年12月(1142年親王宣下を受ける。天養元年(1144年着袴久安6年12月(1150年元服して三品に叙される。美福門院は重仁親王を我が子の様に可愛がっており、次の皇太子に最も近い地位にあったともいわれている。

久寿2年(1155年)に近衛天皇が崩御すると、父の崇徳上皇は重仁親王の即位を望んだ。ところが宮廷では、上皇が藤原頼長と結んで天皇を呪い殺したという噂が流れ、これに怒った鳥羽法皇は重仁親王ではなく上皇の弟の雅仁親王(後白河天皇)を即位させる。『兵範記』では崇徳上皇がこれに強い恨みを抱いたことを保元の乱の原因と記すが、現在ではむしろ権力基盤の脆弱な後白河側が崇徳と頼長を挑発して討ったという説もある[1]。崇徳の行動が非計画的であったことの傍証として、崇徳が白河北殿に立てこもった際に重仁を同道させていないことが挙げられる[2]伊勢平氏前当主正室の池禅尼はかつて重仁の乳母であったが、継子の平清盛の後白河加担を支持した(『愚管抄』)[3]。これにより一門の大多数が後白河に与したことで両陣営の兵力差が決定的となった。

乱後、崇徳上皇は讃岐国流罪となり、重仁親王は仁和寺に入り出家した。寛暁大僧正のもとで仏道に励んだが、応保2年(1162年)1月28日に足の病により父母に先立ち薨去した。享年23。

なお、重仁親王は出家後、父母の居る讃岐に行き、亡くなるまで父崇徳上皇や母兵衛佐局の近くで暮らしたとの伝説があり、高松市檀紙町の檀紙八幡神社に「重仁親王廟」がある[4]

系図

 
 
 
71 後三条天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
72 白河天皇
 
実仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
輔仁親王
 
篤子内親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
73 堀河天皇
 
覚行法親王
 
覚法法親王
 
媞子内親王
(郁芳門院)
 
源有仁
(有仁王)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
74 鳥羽天皇
 
最雲法親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
75 崇徳天皇
 
77 後白河天皇
 
76 近衛天皇
 
 
 
 
 
 
 

脚注

  1. ^ 元木泰雄『保元・平治の乱 平清盛勝利への道』 kindle版 No.1137/3414 角川ソフィア文庫 (2014年)
  2. ^ 呉座勇一 『陰謀の日本中世史』kindle版 No.256/4875 角川新書(2018年)
  3. ^ 元木泰雄 『保元・平治の乱を読みなおす』p.85 NHKブックス(2004年)
  4. ^ 重仁親王廟 - 西日本放送。北緯34度17分58.5秒 東経134度00分08.1秒 / 北緯34.299583度 東経134.002250度 / 34.299583; 134.002250

重仁親王(しげひと)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 06:21 UTC 版)

飛天のごとく」の記事における「重仁親王(しげひと)」の解説

崇徳帝近侍女房との間に産まれ皇子。得子の養子迎えられ事実上鳥羽院崇徳帝互いの子どもを交換したという形となった

※この「重仁親王(しげひと)」の解説は、「飛天のごとく」の解説の一部です。
「重仁親王(しげひと)」を含む「飛天のごとく」の記事については、「飛天のごとく」の概要を参照ください。

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