いけ‐の‐ぜんに【池禅尼】
池禅尼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 21:27 UTC 版)
池禅尼(いけのぜんに、長治元年(1104年)? - 長寛2年(1164年)?)は、平安時代末期の女性。平忠盛の正室。平清盛の継母に当たる[1]。後に崇徳天皇の皇子・重仁親王の乳母となる。父は藤原宗兼、母は藤原有信の娘。中納言・藤原隆家の後裔。名は宗子[注釈 1]。
注釈
- ^ 『東寺百合文書』の「安嘉門院庁資忠注進抄」[2]に藤原宗子の名があり、その割注に「宗兼女 忠盛室 頼盛母」と記されている。
- ^ 『愚管抄』には北条時政の後妻である牧の方の父、大舎人允宗親は頼盛の長年の家人であり、頼盛から駿河国・大岡牧の管理を任されていたと記されている。『尊卑分脈』には宗子の弟に宗親という名が見られ、両者は同一人物の可能性がある。したがって時政による頼朝の監視・保護は、池禅尼・頼盛の意向によるという指摘もある[5]。ただし時政と牧の方の婚姻時期を明確に記す史料はなく、平治の乱の時点で池禅尼・頼盛と時政がつながっていたかは定かでない。牧の方が乱の前年(1158年)、時政に15歳で嫁いだと仮定すると、文治5年(1189年)生まれの政範は牧の方が46歳で産んだことになり、やや無理が生じる。
出典
- 1 池禅尼とは
- 2 池禅尼の概要
池禅尼と同じ種類の言葉
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