河越宗重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/26 09:13 UTC 版)
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時代 | 鎌倉時代後期 |
生誕 | 文永8年(1271年) |
死没 | 元亨3年(1323年)[1] |
別名 | 河越出羽入道 |
官位 | 出羽守 |
幕府 | 鎌倉幕府 |
氏族 | 河越氏 |
父母 | 父:河越経重 |
兄弟 | 宗重、貞重? |
子 | 貞重、治重、仲重 |
河越 宗重(かわごえ むねしげ)は、鎌倉時代後期の武将。鎌倉幕府御家人。父は河越経重。鎌倉幕府御家人。河越氏当主。河越出羽入道とも[1][2]。
生涯
北条氏得宗家当主・鎌倉幕府第8代執権・北条時宗より偏諱を受けて宗重と名乗る[注釈 1]。
元寇にあたり、弘安8年(1285年)ごろから豊後国香々地地頭として西国へ下る。元亨3年(1323年)、53歳で死去[1]。家督を継いだ貞重は系図上宗重の子とされるが、両者は1歳違いのため、親子ではなく兄弟と考えられる。
なお、宗重の子である治重(はるしげ)・仲重(なかしげ)らが鎌倉幕府滅亡後の建武年間に豊後国香賀地荘で現地の支配を行っていた記録が見られるが、これ以降の河越氏の動向は不明。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 落合義明『中世東国の「都市的な場」と武士』山川出版社、2005年。
- 山野龍太郎 「鎌倉期武士社会における烏帽子親子関係」、山本隆志編 『日本中世政治文化論の射程』 思文閣出版、2012年。
- 紺戸淳「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」『中央史学』二、1979年。
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