義経北行伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/30 05:40 UTC 版)
法霊山龗神社は、源義経は平泉で死なずに北へ逃亡したという、所謂「義経北行伝説」の舞台でもある。 義経の北の方(正室)である久我大臣の姫は、義経北行の際に同行しており、その北の方が亡くなって葬られたのが龗神社だと言われている。その北の方が使っていたという手鏡が現在も所蔵されている。 また、医師が老人の先祖の話を書き取ったとされる『類家稲荷大明神縁起』という古文書が所蔵されており(現在は八戸市立図書館が保存・管理)、平泉を脱出した義経一行が八戸に到着し、滞在した経緯が記されている。
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