義経=チンギス・ハーン説とは? わかりやすく解説

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義経=チンギス・ハーン説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:05 UTC 版)

源義経」の記事における「義経=チンギス・ハーン説」の解説

詳細は「義経=ジンギスカン説」を参照 この北行伝説延長として幕末以降近代登場したのが、義経蝦夷地から海を越えて大陸へ渡り成吉思汗ジンギスカンになったとする「義経=ジンギスカン説」である。 この伝説の萌芽もやはり日本人の目が北方向き始めた江戸時代にある。清の乾隆帝御文中に「朕の先祖の姓は源、名は義経という。その祖は清和から出たので国号を清としたのだ」と書いてあった、あるいは12世紀栄えた金の将軍源義経というものがいたという噂が流布している。これらの噂は、江戸時代初期沢田源内発行した『金史別本』日本語訳発端である。 このように江戸時代に既に存在した義経大陸渡航し女真人満州人になったという風説から、明治期になると義経チンギス・カンになったという説が唱えられるようになった明治入り、これを記したシーボルト著書日本』を留学先ロンドン読んだ末松謙澄ケンブリッジ大学卒業論文で「大征服者成吉思汗日本英雄源義経同一人物なり」という論文書き、『義経再興記』(明治史学会雑誌)として日本和訳出版されブームとなる。 大正入りアメリカ学び牧師となっていた小谷部全一郎は、北海道に移住してアイヌ問題取り組んでいたが、アイヌの人々信仰する文化の神・オキクルミ正体義経であるという話を聞き義経北行伝説真相明かすために大陸渡って満州モンゴル旅行した。彼はこの調査義経チンギス・カンであったことを確信し大正13年1924年)に著書成吉思汗源義經也』を出版した。この本は判官贔屓民衆心を掴んでベストセラーとなる。現代日本義経=ジンギスカン説知られているのは、この本がベストセラーになったことによるのであるこうしたジンギスカン説は明治学界から入夷伝説含めて徹底的に否定されアカデミズム世界でまともに取り上げられることはなかったが、学説越えた伝説として根強く残り同書昭和初期通じて増刷重ねられ、また増補出版された。この本が受け入れられ背景として、日本人判官贔屓心情だけではなく、かつての入夷伝説形成江戸期における蝦夷地への関心表裏であったように、領土拡大大陸進出突き進んでいた当時日本社会風潮があった。 現在では後年研究の結果や、チンギス・カンおおよそ生年父親の名前も「元朝秘史」などからはっきりと判っていることから、源義経チンギス・カン説は学術的には完全に否定された説である。

※この「義経=チンギス・ハーン説」の解説は、「源義経」の解説の一部です。
「義経=チンギス・ハーン説」を含む「源義経」の記事については、「源義経」の概要を参照ください。

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