幕末以降
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「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での当郡域の支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地が存在。(68村) 幕末の知行 知行村数村名天領 幕府領 2村 両国新田、新町村 旗本領 32村 上原村、宮川村、野手村、吉崎村、登戸村、東小笹村、荻野村、東谷村、上谷中村、時曽根村、○母子村、虫生村、富下村、傍示戸村、新村、飯倉村、田久保村、亀崎村、久方村、木積村、宮本村、生尾村、山桑村、●松山村、中台村、富岡村、長岡村、大浦村、大塚原村、●井戸野村、泉川村、川口村 旗本領・与力給知 1村 原方村 幕府領・旗本領 14村 栢田村、新堀村、川辺村、今泉村、長谷村、蕪里村、芝崎村、貝塚村、●米倉村、○八日市場村、富谷村、籠部田村、川向村、駒込村 藩領 下総佐倉藩 1村 木戸村 上野安中藩 1村 目篠村 天領・藩領 幕府領・安中藩 3村 尾垂村、春海村、谷中村 幕府領・三河西端藩 2村 堀川村、高村 幕府領・下総生実藩 1村 惣領村 幕府領・旗本領・佐倉藩 1村 横須賀村 幕府領・旗本領・安中藩 1村 鎌数村 幕府領・旗本領・生実藩 1村 小川台村 旗本領・安中藩 5村 平木村、高野村、小田部村、台村、太田村 旗本領・佐倉藩 1村 椿村 旗本領・西端藩 1村 下富谷村 旗本領・生実藩 1村 西小笹村 ^ 記載は堀川小屋村。 慶応4年7月2日(1868年8月19日) - 天領が安房上総知県事の管轄となる。 明治2年2月9日(1869年3月21日) - 安房上総知県事の管轄地域が宮谷県の管轄となる。 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が佐倉県、安中県、西端県、生実県の管轄となる。 10月28日(1871年12月10日) - 第1次府県統合により、安中県の管轄区域が群馬県の管轄となる。 11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、全域が新治県の管轄となる。 明治8年(1875年)5月7日 - 第2次府県統合により千葉県の管轄となる。 尾垂村・惣領村が合併して尾垂惣領村となる。(67村) 明治11年(1878年)11月2日 - 郡区町村編制法の千葉県での施行により、行政区画としての匝瑳郡が発足。「海上匝瑳郡役所」が海上郡銚子町に設置され、同郡とともに管轄。
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幕末以降
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幕末期には生世話物は三代目瀬川如皐などを経て、河竹黙阿弥によって洗練される。黙阿弥は写実を徹底させ、名優四代目市川小團次、三代目澤村田之助らの活躍で「都鳥廓白浪」、「三人吉三廓初買」、「鼠小紋東君新形」、「勧善懲悪覗機関」「処女翫浮名横櫛」など市井の人々の哀歓を綴った名作が作られた。彼の生世話物には南北に見られる猥雑さは影をひそめ、抒情性や様式美に重点が置かれているのが特徴で、明治期になるとそれはより顕著になる。そんなときに黙阿弥と提携した五代目尾上菊五郎は若年期に小團次の薫陶を受けており、後継者として生世話物の伝統を守り続けた。旧作の上演を行う一方、新作でも、散切物で新時代の様を舞台に表そうとしたり、「神明恵和合取組」では、住居の再現に町火消のめ組関係者から子細な聞き取りを行い、「盲長屋梅加賀鳶」の按摩道玄の衣装を町の古着屋から買い求めるなど、リアリズムを追求する姿勢は最後まで崩さなかった。
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