7官立外国語学校の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 19:47 UTC 版)
「外国語学校 (明治初期)」の記事における「7官立外国語学校の設立」の解説
幕末以降、明治維新期に至るまで国内各地で盛行した洋学塾・洋学校は、1873年(明治6年)4月の学制二編追加により「外国語学校」として制度化され、小学校卒業者を入学対象とし、一つには通弁養成、二つには「専門学校」(学制二編追加により定められた高等教育機関で、のちの旧制専門学校とは異なる)の予備教育を行うものと定められた。これにより同年中、既成の教育機関を外国語学校に転換して東京外国語学校・開明学校(のち大阪外国語学校)・広運学校(のち長崎外国語学校)が設立され、翌1874年には愛知・広島・新潟・宮城の官立外国語学校4校が新たに設立された。
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