長崎外国語学校
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長崎外国語学校(ながさきがいこくごがっこう):
- 長崎市立長崎商業高等学校の旧制前身校の名称。
- このうち、明治7年(1874年)4月より12月までの官立外国語学校の名称。⇒ 長崎英語学校 (旧制)
- このうち、1882年(明治15年)7月より1885年11月まで存続した学校の名称。長崎県立。
- 長崎外国語短期大学の前身となった1945年設立の各種学校。
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長崎外国語学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 19:47 UTC 版)
「外国語学校 (明治初期)」の記事における「長崎外国語学校」の解説
詳細は「長崎英語学校 (旧制)」を参照 1873年(明治6年)「広運学校」として設立され、翌1874年4月には長崎外国語学校と改称された。1858年設立の幕府直轄「英語伝習所」を源流とし、その後の改編を経て慶応4年(1868年)4月、明治新政府に接収され和漢洋3学を講じる「広運館」として改編されたものが外国語学校に再転換された。1874年12月長崎英語学校と改称され、1877年2月の廃止にともない長崎県に移管、長崎県立長崎中学校(1884年設立 / 現在の長崎東高・長崎西高の前身)および長崎県立長崎商業学校(1886年設立 / 現在の市立長崎商高の前身)の前身となった、。
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