廃止と旧制中学校への転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 05:04 UTC 版)
「長崎英語学校 (旧制)」の記事における「廃止と旧制中学校への転換」の解説
しかし西南戦争後の財政難により官立による外国語学校の維持が困難になると1877年(明治10年)12月、長崎英語学校は愛知・広島・新潟・宮城の各英語学校とともに廃止された。こののち施設は長崎県に移管されて、翌1878年(明治11年)3月、長崎県立長崎中学校として再出発した。ついで1882年(明治15年)、県立長崎中学は長崎外国語学校と改称して現在の長崎市立長崎商業高等学校の前身となり、1884年(明治17年)同校内に新設された長崎県立長崎中学校は、現長崎県立長崎東高等学校および長崎西高等学校の前身となった。このため特に長崎商高(および長崎東高)は英語伝習所 - 長崎英語学校(広運学校)を学校設立の源流とし、長崎商高については「全国で6番目に古い(九州では最古の)商業高校」を称している。
※この「廃止と旧制中学校への転換」の解説は、「長崎英語学校 (旧制)」の解説の一部です。
「廃止と旧制中学校への転換」を含む「長崎英語学校 (旧制)」の記事については、「長崎英語学校 (旧制)」の概要を参照ください。
- 廃止と旧制中学校への転換のページへのリンク