幕末以後
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やがて、外国船がたびたび日本沿岸に近付くようになり、武力で開港要求を迫るに至って国内は騒然となった。そして、この時期以後、再び合戦絵が風刺的な絵として登場、さらに明治維新の頃の混乱の様子は、月岡芳年らが取上げている。また、明治初期の西南戦争に関しては、歌川派の絵師たちが虚実取混ぜて多数錦絵に描いた。しかし、明治時代以降盛んに描かれ始めた、菊池容斎の『前賢故実』などに倣った厳密な考証に基づく歴史画の陰に隠れて、次第に武者絵の人気は下降線をたどっていく。また、政府の「尊皇愛国」を掲げる徳育的歴史教育の視覚メディアの一端を担うようになり、「忠君」をテーマとする画題が多く扱われるのも明治期の武者絵の特徴である。 その後日清戦争が起こったが、この時が錦絵史上における最大で最終の戦争絵ブームであった。日清戦争の様子は、役者絵を主に描いた豊原国周や、小林清親らによって錦絵に描かれている。この後、浮世絵自体が終焉を迎えるが、凧や幟といった際物の世界では昭和に入っても細々と描かれ続けた。
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幕末以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 01:03 UTC 版)
19世紀後半には、西洋の文物や概念を漢語によって翻訳した和製漢語が多く作られた。これらを「新漢語」と呼ぶことがある。ただし、新漢語の割合は漢語全体から見れば必ずしも多いわけではない。第二次世界大戦後の調査によれば、新聞、雑誌の二字漢語の上位1000語のうち、902語は幕末までに存在したものである。 新漢語は2種に分けられる。1つは「科学」「哲学」「郵便」「野球」など新しく漢字を組み合わせて作った、文字通り新しい語である。もう1つは「自由」「観念」「福祉」「革命」など、古くからある漢語に新しい意味を与えて転用・再生した語である。後者を狭義の和製漢語には含まないこともある。近代以降は「-性」「 -制」「-的」「-法」「-力」や「超 - 」などの接辞による造語も盛んになり、今日でもなお新しい語を産んでいる。 和製漢語は特に近代以降、中国に逆輸出されたものも少なくない。中国が近代化を遂げる過程で、特に日清・日露戦争前後に、中国人留学生によって日本語の書物が多く翻訳されたことが大きいともされる。中国語になった和製漢語の例として「意識」「右翼」「運動」「階級」「共産主義」「共和」「左翼」「失恋」「進化」「接吻」「唯物論」など種々の語がある。中国でも西洋語の翻訳が試みられ、華製新漢語と呼ばれる。華製新漢語は、しばしば和製漢語と競合するようになることもあった。 また、同じく漢字文化圏である朝鮮半島、ベトナムなどでもこうした和製漢語を自国語漢字音で取り入れている。これには日本では和製漢語とは見なされない漢字書きの訓読み和語(割引など)も含まれている。 幕末以降の和製漢語の例 文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、階級、警察、分配、宗教、哲学、理性、感性、意識、主観、客観、科学、物理、分子、原子、質量、固体、時間、空間、理論、文学、電話、美術、喜劇、悲劇、社会主義、共産主義など。 このように、東北アジア各国で使われる漢字でできた近代的な概念語の大半が日本製となっていると高島俊男は主張している。 一方で、1860年代半ばに清で翻訳された国際法解説書『万国公法』が幕末の日本にもたらされた際に、国際法・政治・法学関連の概念を表す中国製新漢語も多数日本語にもたらされた。 「万国公法」により日本にもたらされた華製新漢語 国債、特権、平時、戦時、民主、野蛮、越権、慣行、共用、私権、実権、主権、上告、例外など。 このように日本語から中国語に取り入れられた新漢語の中には、各種英華辞典や漢訳洋書を参照して日本で広まったが中国では一旦忘れられ、もう一度中国に逆輸入されたものが多数含まれている。
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