橋一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 14:05 UTC 版)
西弁天沼から田川へ合流する手前まで。 名無し 名無し 西弁天橋 弁天橋日光街道に架かる橋である。 三の沢橋西弁天沼からの本流と東弁天沼からの東釜川がこの三の沢橋で合流する。 鴨川橋宇都宮カンツリークラブゴルフ場前に架かる。 新鴨川1号橋、新鴨川2号橋共に宇都宮北道路の側道の橋である。 名無し 北原橋 北の前橋 前田新橋、仲良し橋宇都宮市立上戸祭小学校へ続く橋。 釜川橋長岡街道に架かる。 名無し 水道橋水道山の西に位置する れんげ橋、あやめ橋、あさがお橋、さつき橋、つくし橋、ひまわり橋、すみれ橋、たんぽぽ橋、あじさい橋、競輪場通り北側の戸祭町内で昭和60年頃の住宅地の開発とともに多数の橋が架けられた。命名は自治会長と伝えられている。 名無し(旧・兜橋) 名無し 松戸橋松原地区と戸祭地区を合わせた名称。 名無し 西田橋ここから釜川は上下二層に分かれる。 名無し 名無し 名無し 川西橋旧日光街道の宇大宇附属学校園入り口交差点から中城址(戸祭城址)へと通じる中城街道に架けられている。 上釜川橋 清塙橋清住地区と塙田地区を結ぶ名称。 西塙橋 優橋 県庁前通りに架かる。名称は近くの延命院に祀られている蒲生君平に由来する説がある。 名無し 真光寺橋その名のとおり、真光寺への橋であったが、この寺は現存していない。 二里山橋橋の辺りは二里山という丘陵だった。六町(660m)が一里だった時代は、宇都宮城の大手門から二里の距離であった。 塙泉橋塙田地区と泉地区の境に江戸時代に架せられた。 名無し 坐頭橋宇都宮城主が宇都宮氏一族時代は、現在の県庁一帯は粉河寺があり、そこへの橋として架けられた。 桜橋1974年(明治7年)栃木県庁舎の新築と並行し桜並木が植えられ、その桜並木から命名された。現在桜並木はトチノキ並木となっている。 都橋大通りにかかる橋。明治期までは木製の太鼓橋で池上橋という名称だった。 時計塔高さ18mの大谷石で建造された時計塔がある。 名無し 柳橋明治後半に住民が使用するために架けられた。柳があったので柳橋の名称となったようだ。 名無し 名無し 一ツ橋オリオン通りに架かる。名称については、都橋から一つ目や宇都宮城大手門から一つ目など諸説ある。 名無し 新橋明治38年、中心部と新地大橋を結ぶ新地街道が作られ、橋が架けられた。 ロマンチックドーム 修道橋明治21年に河内郡立第一高等小学校ができた当初、正門が北側でこの橋は校内に通じていた。 ふれあい広場釜川の断面をイメージした記念のモニュメントが設置された。 御橋宇都宮城と宇都宮大明神を結ぶ橋で、当初は城主や神主のみが渡るのを許されていた。 牧水亭1920年に宇都宮に来訪した際に御橋の桜を詠んだ若山牧水に由来する牧水の歌碑があり、東屋がもうけられている。 出雲橋昭和30年後半頃まで出雲神社があり、その神社へ通じる小路の橋で、戦前は大谷石の太鼓橋が架けられていた。 名無し 剣橋昭和30年代の区画整理で橋が架けられた。名称の由来は近くの剣宮神社より。 名無し 名無し 井登橋剣宮町から中河原へ通じる橋である。名用の由来については、近くに製糸所工場があったことから「糸橋」とも、出雲神社の清き井戸水を汲んだ事「井戸橋」とも言われている。 名無し 今小路橋宇都宮城の今小路門を作った際に、城内への橋として架けられた。 厩橋戊辰戦争後、宇都宮城が廃城となり、旧城内地へ入る橋ができた。橋の南側に宇都宮城の厩があったためこの名称になった。 新釜川橋幕末以後に田川の幸橋中河原の専売公社を結ぶ道ができ、橋が架けられた。 天神橋1931年(昭和6年)宇都宮市立簗瀬小学校から中河原町への道ができ、橋が架けられた。 名無し ※西弁天沼を源流とし、東弁天沼から合流地点までの名無し橋8つは支流の橋とし、数に含めず。
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