橋を渡るアメリカ軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:11 UTC 版)
「レマーゲンの戦い」の記事における「橋を渡るアメリカ軍」の解説
橋の西側を守る塔にいたドイツ軍の機関銃部隊が、前進するアメリカ軍に向けて攻撃した。午後3時20分、フリーゼンハーンは起爆装置の最後の接続を行い、ハンドルをひねったが、何も起こらなかった。フリーゼンハーンもブラトゲも、橋の破壊に失敗すれば自分たち個人やドイツの防衛状況に悲惨な結果がもたらされることを知っていた。フリーゼンハーンは砲撃で電気回路が壊れていないかと判断し、修理の志願者を募ったが、機関銃や戦車の砲撃で時間が足りないと説得されてしまった。 アントン・ファウスト(Anton Faust)伍長は、エルペル丘の下のトンネルから出て東側の桟橋に取り付けられた爆薬のプライマー・コードに手動で点火することを自ら引き受けた。ファウストは敵の発砲、戦車の砲弾による爆発、煙、霞の中を82m走り、プライマーに火をつけ無事、トンネルへと戻った:216。 午後3時50分、ドイツ軍が橋を爆破する予定だと思われる10分前に、第14戦車大隊A中隊は、橋の路面と石橋脚からドイツ軍の守備隊を撃退し、戦車部隊は対面した東岸の高射砲部隊と交戦した。中隊長のティマーマン2等中尉は、彼らがいると橋が破壊される危険性があるにもかかわらず、27AIBからの戦力不足の分隊を橋の西側に導いた。 アメリカ軍が近づくと同時に、ファウスト伍長が二つ目の爆薬を作動させた。橋の3分の2を占める南東の桟橋の装薬だけが爆発していたが、弱い工業用爆薬では、堅牢な鋼鉄製の橋を破壊することはできなかった。爆発は橋脚の上のレールを覆う板に大きな穴を開け、鋼鉄製の支持桁の一部をねじり、橋の南、側を支えるトラスに9.1mの隙間を作っただけであった。ティマーマンはドイツ兵が走り回るのを見て、2回目の爆破の準備をしているのだと思い、第1小隊の部隊は、橋の西岸の2つの塔を制圧し、2人の機関銃兵を捕らえた。彼らはその後、橋を渡る部隊のために塔から援護射撃を行った。 ティマーマンは部下の半分を、対岸の塔からのドイツ軍による機関銃攻撃が最も激しい南側に配置し、援護射撃を行った。マイク・チンチャー(Mike Chinchar)軍曹は歩兵小隊を率いて、橋の柱から柱へと身をかわしながら橋の左側のキャットウォークを降りていった。ティマーマンは不意にヒュー・モット中尉率いる2/B/9 AEBからの3人の分遣隊と合流し、ユージン・ドーランド(Eugene Dorland)軍曹とジョン・レイノルズ(John Reynolds)軍曹を伴って橋の下に登り、残りの解体用爆薬につながるワイヤーを切断し始めた.。 橋の上の線路は木の板で覆われており、車が通れるようになっていた。橋の上に展開していたアメリカ軍は、東岸の一部水没したボートに隠れているドイツ軍の狙撃兵や、橋の対岸の塔からのMG42機関銃による攻撃、さらにエルペル丘の家屋からの攻撃を受けた。第14大隊のシャーマン戦車が狙撃兵の隠れているボートを破壊し:11、すべての戦車が対岸への砲撃に加わり、歩兵が橋と東側を機銃掃射で覆うと、地上部隊が橋に乗り込むことに成功した。戦車は歩兵への火力支援に成功し、ドイツ軍の陣地からの砲撃を抑えた:11。
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