爆破の準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 23:43 UTC 版)
「世界貿易センター爆破事件」の記事における「爆破の準備」の解説
1992年、ラムジ・ユセフはイラク国籍の偽造パスポートでアメリカに入国した。警察は、ユセフと一緒に来たアブー・バッラの手荷物の中に爆弾を作る手引き書を発見した。その小冊子の中にも書かれていたアブー・バッラという名前は、ムハンマド・ジャマール・ハリーファの偽名であった。アブー・バッラは偽造パスポートの使用と爆弾製造マニュアルをもっていたこともあり、その場で逮捕された。ユセフは、移民帰化局(INS、2003年3月1日付けで廃止)の収容施設がその当時満員だったため、1か月後に再び出頭するように命じられた。 ユセフはニュージャージー州に住居をもち、ニューヨークやニュージャージーを旅していた。その後、刑務所の電話を使って、イスラム過激派の礼拝導師、オマル・アブドッラフマーンと会話している。ユセフはアブー・バッラから爆弾のマニュアルを再び入手した。彼は共犯者の手を借り、化学物質を混合して爆弾を作り始めた。その後、交通事故に遭い入院していたが、警察に押収されていた車からマニュアルを取り戻している。 エル・サイード・ノサイルは、アブドッラフマーンの一味であり、のちに爆破事件に関係したとして有罪を宣告されたが、1991年に起きたアメリカ系ユダヤ人のラビで、極右政党「カハ」の党首メイアー・カハネの殺害に関わったとして逮捕された。同じく爆破事件で有罪を宣告されたマフムード・アブー・ハリマは、ワディーフ・エル=ハッジにカハネの狙撃に使われたライフル銃を調達するように指示した。ノサイルは殺人については無罪になったが、銃を用意したとして有罪になった。彼の住んでいたアパートにはテロ計画に関係する爆弾作製のマニュアルや文書が多く見つかったが、その時はアラビア語から英語に翻訳されることはなかった。 ユセフは、盗んだのか借りたのかはわからないが、爆破に使う車としてバンを入手した。バンには8 m3の空間があり、1000 kgの爆発物を積むことができたが、ユースフには資金がなくそれほどの爆弾は製造されなかった。もし、もっと多くの資金があったなら、さらに多くの爆弾が製造されトラックに積まれていた可能性がある。
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