橋の防衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:11 UTC 版)
3月6日、ルーデンドルフ橋を見下ろす高さ180mのエルペル(de)の丘の上に配置されていた第3高射砲軍団(III Flak Korps)の高射砲部隊は、空軍からコブレンツの防衛に協力するよう命じられていた。この補充部隊は自動車化されておらず、レマーゲンの郊外に配置されていた。 3月6日から7日の夜、アメリカ軍がライン川に向かって進撃してくると、高射砲部隊の隊員14名が脱走した。ブラトゲは3月7日に橋の上で小銃を操る高射砲部隊を見て、初めて補充部隊の存在を知ったという。アメリカ軍の到着が間近に迫っていることを知っていたブラトゲは、怒りを込めて空軍司令官に兵器をできるだけ早くエルペルの頂上に集めさせるように要求したが、最初のアメリカ軍が到着した午後2時にはまだ部隊は配置されていなかった。 ブラトゲはわずか36名の元負傷兵を指揮していたが、中には武器を操ることができない者もいた。橋は、カール・フリーゼンハーン(Carl Friesenhahn)工兵大尉の指揮する125名の工兵中隊、180名のヒトラーユーゲント、200名の空軍高射砲部隊、Hs 297 (ロケット)装備の第3対航空機訓練および試験師団(ロケット部隊)の20名、120名の東方義勇部隊(de)の「志願兵」、約500名の国民突撃隊の合計約1000名の部隊によって守られていたが、これらのほとんどは、装備が不十分で訓練もなされていなかった。
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