ベルギーの準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 08:54 UTC 版)
「エバン・エマール要塞の戦い」の記事における「ベルギーの準備」の解説
ベルギー第7歩兵師団は運河上の3つの橋の防衛を命じられ、戦いの時点でエバン・エマール要塞の防衛部隊の支援を行っていた 。橋の防衛はひとつの橋ごとに運河西側に構築された4つの大きなコンクリートトーチカで防衛されており、3つに機関銃、1つには対戦車砲がそれぞれ装備されており、対戦車砲を装備したトーチカは橋から通じる道のそばに置かれ、機関銃を1丁装備したトーチカは橋の背後に、他の二つは橋の側面の両側近辺に配置された。A中隊はそれぞれ橋の西側の岸に配置され、東岸には敵を素早く見つけるために小さな監視所が配置された。そして3つの橋全ては対戦車トーチカに用意された爆破装置によって破壊することができた。エバン・エマール要塞は180m×370mの広さで1930年代に建設され、1935年に完成、花崗岩を必要なスペースを得るために爆破し、屋根、壁は1.5mの厚い鉄筋コンクリートで構成されており、4つの格納式砲台、64個の防衛拠点を装備していた。 要塞は10マイルの範囲に6つの120mm砲を装備しており、そのうち2つは全周囲を展望することができ、さらに75mm砲16門、60mm高速対戦車銃12丁、2連装機関銃25丁、そしていくつかの対空砲も装備していた。要塞の一面は運河に接していたが、他の3方面は地雷を配置、深い溝、6.1mの壁、機関銃を装備したコンクリートトーチカ、要塞上の探照灯15個、60mm対戦車砲を装備していた。さらに要塞の下には多数のトンネルが張り巡らされており、個々の小さな塔と要塞、弾薬庫、指令本部と接続されていた。火砲への動力、内外部の照明、駐屯部隊によって使用された無線網、空気清浄システムに電力を供給するための発電所、また駐屯部隊の居住区、彼らのための病院なども要塞には構築されていた。ベルギー軍の計画では要塞と付属する防衛拠点の駐屯部隊が攻撃に対して持続的な戦いを行うことを要求しておらず、運河東岸の分遣隊が撤退、橋を破壊し、遅滞行動のために戦う準備ができるように攻撃前に十分な予兆があると仮定していた。防衛部隊はその後、デイル川沿いの主防衛線へ撤退、そこで連合軍と結びつくことになっていた。
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