ベルギーの政策転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 22:48 UTC 版)
植民地時代初期はハム仮説に従いツチを優遇していたベルギーであったが、第二次世界大戦を経て1950年代半ば頃になるとフツを支持する方針へと変化していった。この方針変化には、急進的な独立を求めるツチに対するベルギー人の反発や、ベルギーの多数派であるフラマン人 (en:Flemish people) がかつて少数派のワロン人に支配されていたという歴史的経緯に由来するフツへの同情、多数派であるフツを支持することによるルワンダの安定化などの考えがあったとされる。また、1960年にはベルギーの植民地であったザイール(現コンゴ民主共和国)は独立を遂げ、パトリス・ルムンバが初代首相となるが、独立直後からコンゴ動乱が発生。翌年1月にはルムンバが殺害されたためにベルギー当局は国際社会から激しい非難を受け、ルワンダの独立も国連の圧力により急速に進められていくこととなった。なお、ルワンダ現地の責任者であったギヨーム・ロジスト (en:Guillaume Logiest) 大佐はフツ側に肩入れし、1960年には普通選挙を行ってフツの影響力を大きく拡大させた。
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