橋の誤認と「二重橋」の由来とは? わかりやすく解説

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橋の誤認と「二重橋」の由来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 09:16 UTC 版)

二重橋」の記事における「橋の誤認と「二重橋」の由来」の解説

正門石橋二重橋だと誤認されることがあるが、厳密には奥にある正門鉄橋が「二重橋」である。 明治時代初期西丸大手橋(フェリーチェ・ベアト撮影)、左端西丸大手門櫓門)は現存するが、その手前の高麗門今はない。西丸大手橋後方微かに見えるのが、西丸下乗(現二重橋位置)。 皇居正門江戸城西の丸大手門)は普段閉じられており、天皇即位大礼天皇皇后皇太后大葬儀など特別な行事のある時や国賓来訪の際以外は使われない皇居入口には皇居前広場側から見て、石で造られ手前の「正門石橋」と、作られた奥の「正門鉄橋」という2つがある。位置関係は、外から皇居前広場正門石橋正門正門鉄橋中門宮殿東庭新宮殿前広場)→宮殿長和殿)というルートをたどることになる。 二つは、明治17年から22年にかけての皇居御造営明治宮殿に際して掛け替えられた。 奥の鉄橋は、かつては江戸城西丸下乗のあった位置にある。下乗(別名;月見橋)は、青銅製の擬宝珠欄干付いた木造橋で、壕が深かったことから途中橋脚立て橋桁支え構造にするのが困難だったため、橋桁上下重にして強度上げ長いスパン実現した現代風に言えば木造トラス橋である。現在の鉄橋二重はないた呼び名混乱生じている。 手前石橋は、江戸城西丸大手橋があった位置にあり、明治20年1887年)の建造である。二連アーチ構造であることから俗称眼鏡橋とも呼ばれ、「この石橋二重橋である」と誤認されることが多い。大手橋写真のような木造で、もとはアーチ橋ではなかった。 「二重橋」とは正しくは奥の正門鉄橋呼称であるため、「手前石橋と奥の鉄橋が同じ濠に2つ重なって架かるだから二重橋」(重しているように見える)というのは正確な解釈ではないが、戦前書籍にも二重橋正門石橋の写真用いるものが多く一般に正門石橋正門鉄橋二つ併せて二重橋とする総称用いられ、「宮城正門の二、一は石を畳み、二はをもって造る…」と親しまれてきた。また同様に皇居前広場二重橋前広場とも言ったそもそも二重橋という名称は正式なものではなく一般に用いられてきた通称に過ぎない宮内庁環境省においては二重橋」は正門鉄橋のことを指すとしながらも、「2つ総称として用いられる」と説明をしている。 二重橋事件事故)はすべて門の外側石橋起こったもので、厳密な意味での二重橋正門鉄橋」で起こったものではない。

※この「橋の誤認と「二重橋」の由来」の解説は、「二重橋」の解説の一部です。
「橋の誤認と「二重橋」の由来」を含む「二重橋」の記事については、「二重橋」の概要を参照ください。

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