和製漢語に関する見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 01:03 UTC 版)
中国文学者の高島俊男は、『漢字と日本人』の中で、幕末までの和製漢語と、幕末以後の和製漢語を比べ、その違いについて見解を述べている。その要点は以下の通りである。 江戸時代以前に成立した「三味線」などは耳で聞いて意味が明確である。一方で、明治以降に造語された「真理」などは「心理」「審理」「心裡」と紛らわしい。 明治以降に造語された和製漢語は中国人が見ても文字から意味が推測できるのに対して、江戸時代以前の和製漢語はそれが非常に困難である(「世話」は「世の中の話」という意味ではなく、「無茶」は「お茶が無い」という意味ではない)。 なお、後者については当て字の項も参照されたい。 近年[いつ?]、カタカナ語が急速に増えたため、それに対して文字や言葉から意味が連想しにくいといった「わかりにくい」という声が高まった。そのため、国立国語研究所はわかりにくい片仮名外来語をわかりやすくするため、和製漢語などによる言い換え提案をおこなっている。一方、国語学者の山口仲美のように、言い換え案のほとんどは漢語であり、ただでさえ多い漢語をふたたび増やし、同音異義語の問題を大きくしてしまうと指摘し、和製漢語は中国文化が浸透していた時代に合っていた方法なのであって、現在の日本はアメリカ文化が浸透しているのだから、片仮名の外来語のままにしておいて意味の定着を待つべきではないか、と主張している者もいる。
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