義経北方伝説とは? わかりやすく解説

義経北方(北行)伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 00:51 UTC 版)

平家の落人」の記事における「義経北方北行伝説」の解説

源義経衣川死んでおらず、奥州からさらに北に逃げたのだという不死伝説生み出した。さらに、この伝説に基づいて実際に義経北方すなわち蝦夷地逃れたとする主張を、「義経北方北行伝説」と呼んでいる。そして寛政11年1799年)に、この伝に基づき蝦夷地のピラトリ(現・北海道沙流郡平取町)に義経神社創建された。「義経北方北行伝説」の原型となった話は、室町時代御伽草子見られる御曹子島渡説話であると考えられている。これは、頼朝挙兵以前青年時代義経が、当時渡島わたりしま)」と呼ばれていた北海道渡ってさまざまな怪異体験するという物語である。未知なる地への冒険譚が、庶民の夢として投影されているのであるこのような説話が、のちに語り手たちの蝦夷地アイヌ対す知識が深まるにつれて衣川で難を逃れた義経蝦夷地渡ってアイヌの王となった、という伝説転化した考えられる。またアイヌ人文神であるオキクルミ義経従者サマイクル弁慶であるとして、アイヌ同化政策にも利用された。またシャクシャイン義経後裔であるとする(荒唐無稽の)説もあった。これに基づき中川郡本別町には義経山や、弁慶洞と呼ばれる義経弁慶らが一冬を過ごしたとされる洞窟存在する。またこれらの伝説強化した思われる記述として、江戸幕府儒家林羅山の『続本朝通鑑』がある。記述は「或日、衣河之役義経不死、逃到蝦夷島其遺種存干今(現訳~義経衣川の戦で死なず逃れ蝦夷島至りその子孫を残す)」とある。

※この「義経北方(北行)伝説」の解説は、「平家の落人」の解説の一部です。
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