青年時代(『マロリオン物語』)
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「ベルガリオン」の記事における「青年時代(『マロリオン物語』)」の解説
ベルガリオンは王妃となったセ・ネドラと共にリヴァを治める。ふたりは一度仲たがいし、破局寸前までいったが、ポルガラの力添えで和解する。しかし、そんな幸せもつかの間だった。トラクとの戦いから2年後、アルダーの珠が放つ異様な光と、ベルガリオンの頭の中に響く声があらたな旅の幕開けとなる。 「ザンドラマスに気をつけよ」 果たして『ザンドラマス』とは何なのか、それからベルガラスから聞かされた『サルディオン』とは何なのか?――ベルガリオンはベルガラスとともに探索を始める。その途中で様々な出来事に遭遇する。セ・ネドラの妊娠および暗殺未遂事件、息子ゲラン(Geran)の誕生、《リヴァの番人》ブランド(Brand)暗殺事件、急成長を遂げつつある熊神教徒の鎮圧、そして、ゲランの誘拐。 ゲランの行方を追い、ドラスニアのレオンにある熊神教徒の本拠地を制圧した後、ガリオンの前にケルの女予言者シラディス(Cyradis)が現れる。彼女は言う。ゲランは《闇の子》ザンドラマス(Zandramas)に誘拐されたこと。ザンドラマスはゲランを連れて《闇の石》サルディオン(アンガラクでは『クトラグ・サルディウス』)のある場所へ向かっていること。決戦の地はサルディオンのある場所――この世に存在しない場所――であること。ザンドラマスがゲランとともに《闇の石》を手に入れれば、ベルガリオンは《光の子》としてゲランを殺さなければならなくなること。今度の探索には、ベルガラスとポルガラの父娘とエランド、それに妻セ・ネドラを必ず連れて行かなければならないこと。さらに、【案内人】【二つの命を持つ男】【女狩人】【男ならぬ男】【からっぽの者】【見張り女】【物いわぬ男】とともに探索の旅を行わなければならないこと。そして、仲間の誰かひとりが必ず命を落とすこと……。 ベルガリオンは葛藤の末、再び集った仲間たちと共に、新たな探索の旅に出る。 ウルゴランドで神々の父ウル(UL)より新たな名前『エリオンド(Eriond)』をもらったエランドの能力と謎、トラク亡き後のアンガラク人社会の混乱、マロリーの首都マル・ゼスでの疫病の流行、それまで未知であったカランダやメルセネといった東方大陸の国家の文明、ドラゴンや悪魔といった異形の生物との戦い、そして宇宙の命運を大きく左右する《光と闇の最終対決》。ベルガリオンは仲間とともに、シラディスに導かれながら、ザンドラマスの妨害をはねのけながら、様々なことを経験する。 そして《光と闇の最終対決》を迎えたとき、彼は《光の子》としての役目を引き継ぐ者として、アンガラクの新しい神の候補者としてエリオンドを選ぶ。一方、ザンドラマスはゲランを差し出した。こうして、『もはや存在しない場所』で《選択》が行われた――。 すべてが終わったあと、ベルガリオンはそれまで彼を導いてくれた予言の声により、この戦いの真実を知る。そして、長い寿命を約束される。 トラクに代わりアンガラク人の神の座についたエリオンドが、神々の去った地球で、新世界の神となるその日まで――。 バラクの操縦する戦艦《海鳥号》でペリヴォー島に到着し、同乗していたほかの仲間たちも加えて、地球上のすべての国家(ガール・オグ・ナドラクを除く)の講和条約『ダル・ペリヴォーの講和』の締結で中心的な役割を果たす。 それから数ヵ月後、予言の声の言っていたとおり、セ・ネドラは女児を出産する。彼は迷わず、娘に名前を与えた。つねに自分たち家族の心の中心にいる、リヴァ王家の始祖となった女性の姿を思い浮かべて――『ベルダラン』と。
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「青年時代」の例文・使い方・用例・文例
- 私は青年時代に戻ったような幸福な気分であった。
- 多くの運動選手は青年時代に盛りを極める。
- 青年時代は心身の発達が著しい。
- 青年時代の忍耐と努力によって、彼は現在の身分になれたのである。
- 青年時代に親友をつくり、よい本を読みなさい。
- 私は青年時代にその本を3回読んだ覚えがある。
- 私の青年時代の友達。
- 人生の朝, 青年時代.
- 彼の青年時代から老年に至るまで.
- 私の青年時代の親友たち.
- 青年時代から.
- 青年時代に.
- 青年時代に
- 彼は青年時代に欧米を漫遊した
- 青年時代の夢
- 無鉄砲な青年時代を送る
- 青年時代へと成長する過程
- 青年時代の最良の時
- 青年時代から発病する
- 山下さんは青年時代に有名な脚本家の倉(くら)本(もと)聰(そう)さんが主(しゅ)宰(さい)する演劇塾に所属していた。
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