青年時代と修業期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 08:09 UTC 版)
「ジョヴァンニ・ファットーリ」の記事における「青年時代と修業期」の解説
ジョヴァンニ・ファットーリは、リヴォルノの質素な家庭に生まれた。青年期のジョヴァンニは十分な教育を受けていなかったため、家族は彼に商業の勉強をさせて学位を取るように勧めた。しかし、デッサンの才能に恵まれていた彼は家族を説得し、1845年、20歳にしてジュゼッペ・バルディーニ(1807年 - ?)に弟子入りすることとなった。バルディーニは宗教画や風俗画を手がけていた地元の画家である。翌1846年、ファットーリはフィレンツェに移住して、初めはジュゼッペ・ベッツォーリのもとで学び、同じ年にフィレンツェの美術アカデミーに入学している。しかし、当時の彼が絵画の勉強以上に精力を注いでいたのは歴史小説(特に中世もの)を読みふけることであり、ウーゴ・フォスコロ、フランチェスコ・ドメニコ・グェラッツィ、ウォルター・スコットなどの作品を読んでいた。 1848年、ファットーリは絵画修業を一時中断。1848年から翌年にかけてのイタリア統一戦争の時期には、反オーストリアの民主化運動に加わり、行動党のビラを配って回る、使い走りの仕事をしていた。しかし、ファットーリの家族は彼に戦士になることを断念させた。彼は1850年、フィレンツェのアカデミーでの勉強を再開する。彼は、常に小さなノートブックを持ち歩き、そこに日々観察した出来事を数多くのスケッチとともにメモする習慣をもっていた。後年のエッチングにはこの時のスケッチを元にしたものもある。
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