青年時代・バンド「飛行船」デビューとは? わかりやすく解説

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青年時代・バンド「飛行船」デビュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 20:57 UTC 版)

あんべ光俊」の記事における「青年時代・バンド「飛行船」デビュー」の解説

1971年 早稲田大学社会科学部入学する1974年 大学在学中に同じゼミ萩原誠はぎわらまこと)(E.Bas)、久保裕治(E.G.&Dru)と「飛行船」を結成大学3年終了時アルバイトで貯めた金を放出してシングルレコードしょうよう歌/白夜」を自主制作レコーディング高田馬場BIG BOX当時あったVICTORショールーム内のレコーディングスタジオ行ったその後久保脱退して新たにあんべの高校後輩駒澤大学学生だった小野寺進(おのでらすすむ)(キーボード)と渋谷ヤマハ掲示板メンバー募集呼びかけ見た小島光浩(おじまみつひろ)ドラム)が参加して新たに四人組グループ飛行船」を再結成した。自主制作版しょうよう歌」が音楽関係者評判呼び翌年フィリップスよりデビューする1977年 5月、1st.アルバム『風の時刻表』をリリースする7月安部光俊飛行船名義シングル青春踏切で / 花嫁泥棒」をリリースするが、ほどなくバンド飛行船解散するアマチュア戻って諦めことなく作曲し当時谷村新司パーソナリティ務めていたニッポン放送ラジオ番組、『ライオン・フォーク・ビレッジ』に自作録音したカセットテープ応募記念すべき第100回の「フォーク・ビレッジ・オリジナル曲」に、応募150曲の中から選ばれている。

※この「青年時代・バンド「飛行船」デビュー」の解説は、「あんべ光俊」の解説の一部です。
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