青年時代・バンド「飛行船」デビュー
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1971年 早稲田大学社会科学部に入学する。 1974年 大学在学中に同じゼミの萩原誠(はぎわらまこと)(E.Bas)、久保裕治(E.G.&Dru)と「飛行船」を結成。大学3年時終了時にアルバイトで貯めた金を放出してシングルレコード「しょうよう歌/白夜」を自主制作。レコーディングは高田馬場のBIG BOXに当時あったVICTORショールーム内のレコーディングスタジオで行った。 その後、久保が脱退して、新たにあんべの高校の後輩で駒澤大学の学生だった小野寺進(おのでらすすむ)(キーボード)と渋谷のヤマハ掲示板でメンバー募集の呼びかけを見た小島光浩(おじまみつひろ)(ドラム)が参加して、新たに四人組のグループ「飛行船」を再結成した。自主制作版「しょうよう歌」が音楽関係者で評判を呼び、翌年、フィリップスよりデビューする。 1977年 5月、1st.アルバム『風の時刻表』をリリースする。7月、安部光俊&飛行船名義でシングル「青春の踏切で / 花嫁泥棒」をリリースするが、ほどなくバンド・飛行船が解散する。アマチュアに戻っても諦めることなく作曲し、当時谷村新司がパーソナリティを務めていたニッポン放送のラジオ番組、『ライオン・フォーク・ビレッジ』に自作を録音したカセットテープを応募。記念すべき第100回の「フォーク・ビレッジ・オリジナル曲」に、応募作150曲の中から選ばれている。
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