御室神事
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旧暦12月22日になると、諏訪郡の郷民が奉仕して神原(前宮)の一部に建築した御室(みむろ)と呼ばれる広大な竪穴建物に大祝、神長以下神職が参籠して穴巣始(あなすはじめ)と呼ばれる儀式を始める。 『諏方大明神画詞』(1356年成立)には以下のように書かれている。 十二月廿二日、一の御祭。大祝以下の神官、所末戸社に詣づ。行列例の如し、饗膳の儀又常の如し。同日御室入、大穴を掘て、其内に柱を立て、棟を高め萱を葺きて、軒の垂木をささへたり。今日、第一の御体を入奉る。大祝以下神官参籠す。(中略) 同廿九日、大夜明・大巳祭。又御体三所を入れ奉る。其の儀式おそれあるによりて、是を委くせず。冬は穴にすみける神代の昔は、誠かくこそありけめ。 — 『諏方大明神画詞』「祭第七 冬」 『年代神事次第旧記』(室町初期成立)によると御室には柱4本、桁2本、梁2本がある。田中基の計算によると24畳分の菅畳が用意されたため、広さはそれ以上ということになる。中には「萩組の座」というものがあり、神長による祭事の覚え書きである『年代神事次第旧記』(室町初期成立)には御室本体の用材とは別に「東の角、南の角、棟木、東西の桁、囲い」とあることから、御室の中に設けられる仮小屋と考えられる。「うだつ」とも呼ばれるこの構造物には大祝、神長、神使(おこう)しか入ることができなかった。破風には葦で壁体を作り、そこにミシャグジを祀ったという記録もあるが、このあたりの記述が混乱しているため、これは御室自体の破風を指すのか、「萩組の座」の破風を指すのか不明である。ミシャグジの依り代も剣先板と呼ばれる板(後述)なのか、八ヶ岳西麓にある神野(こうや、禁足地とされた上社の神聖な狩り場)から切り出された笹なのか、それとも別のものなのかよくわからない。 22日の祭事の時に御室に入れられる「第一の御体」とは、祭事に関する部分が所々改変されている神長本『画詞』から、ミシャグジであることが明らかにされている。また「御体三所」は、『旧記』から「そそう神」と称する神霊(後述)で、23日の神事の項に「例式小へひ入」とあることから3つの蛇体であることが分かる。小蛇に麻と紙をからめて立てられるが、これは注連縄に紙をつけ、大幣に麻を垂らすのと同じで、蛇形に神格を付着するためである。 『旧記』によると、24日の夜(大巳祭)にはミシャグジを依り憑けた「御笹」が「萩組の座」の左より、「御正体」(上記の3体の小蛇)がその右より搬入される。「萩組の座」に安置された笹は「うだつの御左口神」とも呼ばれ、3月丑日までに御室の中に位置する。大小の蛇形も同様で、3月まで御室に納められていた。「萩組の座」の中で何が行われたのかははっきりしないが、大祝が笹を持ちながら唱え言をしたようである。 25日の大夜明祭にはハンノキの枝で出来た長さ5丈5尺(約16m)、太さ1尺5寸(70cm)の蛇体3体と「又折(またおり)」と呼ばれるものが御室に入れられる。「御身体」または「ムサテ」と呼ばれるこの蛇形も「そそう神」であるという。すなわち、大小の蛇体が各々3体ずつ2日間を隔てて入れられている。田中基はこれについて、小蛇が大蛇に急成長することで神霊であることを示した儀式的表現であると述べている。蛇形が御室の中に安置されるのは3月卯の日までである。
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