葵紋(あおいもん)
葵紋
葵紋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 18:30 UTC 版)
葵紋(あおいもん)は、アオイを文様化した図案。葉の頭が内側に3枚配置された三つ葉葵は、江戸時代に徳川家および親族の松平氏を象徴する紋様であった。 詳細は「三つ葉葵」を参照 紋名一覧 葵紋(三つ葵) 丸に三つ葵:徳川将軍家、松平氏、全国の一族由来の社寺 紀州三つ葵:紀州徳川家 尾州三つ葵:尾張徳川家 水戸三つ葵:水戸徳川家 会津三つ葵:会津松平家 丸に三つ裏葵 剣三つ葵 葵紋(立ち葵) 本多立ち葵:本多家 立ち葵:川勝氏 花立ち葵 立ち葵菱 原立ち葵 葵紋(葵) 二葉葵(賀茂葵):賀茂氏 花付き二葉葵 裏葵 葵の丸 徳川葵 尾張葵 水戸葵 会津葵 丸に三つ裏葵 立ち葵 本多葵 剣三つ葵 花立ち葵 立ち葵菱 二葉葵
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葵紋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:26 UTC 版)
葵紋(あおいもん)はウマノスズクサ科のフタバアオイを図案化したもので、フタバアオイの通常の葉の数は2枚である。3つの葉をもつフタバアオイは稀で、三つ葉葵は架空のものである。葵祭に見られるように賀茂氏の象徴であり、葵紋は賀茂神社の神紋(二葉葵・加茂葵)になっている。その賀茂氏との繋がりが深い三河国の武士団は、葵紋を家紋としてきた。これにより三河武士である徳川家が葵紋を使用していることは、徳川家が清和源氏(河内源氏)系新田氏流世良田氏(得川氏)の末裔ではなく賀茂氏の末裔ではないかとの説の根拠ともなっている。『見聞諸家紋』では、丹波国西田氏の二葉葵が載るが、この西田氏も賀茂神社の氏子であるのが葵紋使用の由来である。 豊臣家が滅んだ後、徳川家康の権威が上がると徳川家使用紋の葵紋は特別な家紋となっていった。家康が征夷大将軍となった後、次第に他家の三つ葉葵に限らず葵紋の使用がはばかられるようになり、松平家へは遠慮させ、伊奈家には禁止させている。一方で徳川家家臣である本多家(本多家は葵紋にこだわり「丸に立葵」の紋の使用を許された)や准家門の鳥取池田家(池田光仲は家康の曾孫にあたり鳥取城中ノ御門表門(大手門)周辺からは葵紋瓦が出土している)のように一部葵紋の使用を許されることもあった。 また、この制限によって、葵紋の形状に倣った紋を河骨紋と称して用いる一族や家が現れたと考えられている。このように徳川将軍家以下一門に制限されていたというが、江戸初期では御用商人の長持などの道具に描かれていたという。また、正式に制限されたのは、享保8年(1723年)のことである。
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