中ノ御門表門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:13 UTC 版)
1621年(元和7年)に池田光政により創建。慶長の大改築以後、大手門とされた。葵紋瓦が出土しており、池田光仲が徳川家康の曾孫にあたることから、外様大名では例外的に葵紋瓦の使用が許されたとみられている。枡形を備える複門で二の門は櫓門となっていた。藩主在城の時は門の扉は開かれ、藩主が江戸出府中は閉ざされていた。1720年(享保5年)の大火で焼失したが同年中に再建された。1875年(明治8年)に解体。2021年(令和3年)に江戸末期の姿に再建。
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