金田正峯
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金田 正峯(かねだ まさみね、正徳元年(1711年) - 没年不詳)は江戸時代中期の江戸幕府旗本。桓武平氏千葉氏分家の金田氏分家。父は金田正澄で、正峯は次男にあたる。母は保田宗郷(内膳正)の娘。兄は金田正甫。妻は八木茂時の娘、金田正朝の娘、織田宣居の娘。実子は1男3女で、長女は土岐頼寛の妻。養子は出羽国米沢藩の支藩米沢新田藩の藩主上杉勝周の次男、金田正矩。養女は妹で、金田正祥の妻。石高は500石。通称は幸次郎。官位は能登守。
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