川勝氏徳とは? わかりやすく解説

川勝氏徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/19 21:42 UTC 版)

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川勝氏徳
時代 江戸時代中期 - 江戸時代後期
生誕 宝暦5年(1755年
別名 八十郎(通称)
墓所 東京都渋谷区神宮前の長泉寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家斉→(?)
氏族 川勝氏
父母 父:川勝氏記、母:藤田光政の娘
兄弟 氏徳、氏次(吉太郎)、
女子(松平伯耆守家臣志水元重室)、
女子(木村氏室)
正室:某氏
氏貞、氏忠
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川勝 氏徳(かわかつ うじよし)は、江戸時代中期から後期の旗本。貞徳流川勝家の3代当主。『寛政重修諸家譜』編纂時の当主。定紋は釘抜。

生涯

宝暦5年(1755年)、川勝氏記の嫡男として江戸に生まれた。天明元年(1781年)7月8日、父氏記の死去により、27歳でその家督(蔵米50俵3人扶持)を継ぎ、小普請となった。

寛政4年(1792年)9月25日、初めて将軍徳川家斉に謁見した。

寛政11年(1799年)時点で年齢は45歳、役職は小普請(小笠原八番)。屋敷は青山権田原元御屋敷内。没年不詳。後に家督は嫡男の氏貞が継いだ。

天保3年(1832年)12月21日、川勝氏貞は小普請にて軽追放となり後に絶家となった(『藤岡屋日記』1-500頁、詳細不明。

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
  • 石井良助監修、小川恭一編著『江戸幕府旗本人名事典(第1巻)』原書房、1989年
  • 小川恭一編著『寛政譜以降旗本家百科事典(第2巻)』東洋書林、1998年


先代:
氏記
川勝継氏系貞徳流
3代:1781年 - 不詳
次代:
氏貞




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