督姫
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督姫(とくひめ、永禄8年[1](1565年)あるいは天正3年11月11日(1575年12月13日)[2][3] - 慶長20年2月4日(1615年3月3日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。徳川家康の次女。母は家康の側室・西郡局(鵜殿氏の娘)。実名はふう[4]。別名は富子、播磨御前、良正院。
注釈
- ^ 督姫の母方の祖母は今川氏親の娘であり瑞渓院とは姉妹になるため、瑞渓院の孫である氏直とは、再従兄妹(はとこ)の関係である。
- ^ ここで出てくる池田輝政の娘は没年、院号、戒名などが万姫と一致しており、輝政の養女となっていた万姫のことだと分かる。
- ^ この催しに関する4月19日付の池田輝政書状が鳥取県立博物館に所蔵されている。『因州藩の能楽』155ページ
- ^ 2人の並びは没年順であり、姉妹の生年順とは一致していない可能性もある。
- ^ 『因府年表』では池田利隆の許嫁とし、『池田氏家譜集成 池水記』では妙玄院(法名の誤記と思われる)が死んだとき17歳だったとする記述がある。
- ^ 実年齢ではおおよそ45歳になり、現代でも高齢出産の範囲になる。
- ^ 氏直とは13歳差になる。当時の結婚で夫と年齢差があるのはよくあることだが、初婚で子もいない氏直がまだ出産できない年齢の女性を正室に迎えたということになる。
出典
- ^ 『徳川幕府家譜』
- ^ a b 『池田氏家譜集成』巻30収録『因州鳥取慶安寺略記』. pp. 69-71
- ^ 『幕府祚胤伝』
- ^ 『池田氏家譜集成』巻30収録『因州鳥取慶安寺略記』. p. 69
- ^ a b 『蓮葉院余光記』 2018年12月30日閲覧。
- ^ “中筋村の飢饉”. 兵庫県宝塚市. 2018年12月30日閲覧。
- ^ 『言経卿記』
- ^ a b 『当代記』 2018年12月30日閲覧。
- ^ “町指定文化財 蓮華寺礼盤”. 兵庫県播磨町. 2018年12月30日閲覧。
- ^ 『当代記』 2018年12月30日閲覧。
- ^ 『寛政重修諸家譜』 2018年12月30日閲覧。
- ^ 『譜牒余録』 2018年12月30日閲覧。
- ^ 『駿府記』 2018年12月30日閲覧。
- ^ 『徳川実紀』
- ^ 鳥取県立博物館. 昭和54年度『資料調査報告集 第七集 「菅家文書」「乾家文書」』「菅家文書」22、23、24 良正院局書状 2018年12月30日閲覧。
- ^ 『本光国師日記』
- ^ 福昌山本教寺にある督姫の肖像画の裏書より
- ^ 岡嶋正義. 『因府年表』
- ^ 『池田氏家譜集成』巻1. pp. 26-27
- ^ 『池田氏家譜集成』巻30『慶安寺覚書』. p. 75
- ^ 『義演准后日記』元和元年正月晦日の条 2018年12月30日閲覧。
- ^ 『義演准后日記』元和元年六月十六日の条
- ^ 『武徳編年集成』
- ^ 『池田家履歴略記』文禄三年甲午 良正院殿入輿
- ^ 『池田氏家譜集成』
- ^ “『池田忠雄追悼歌』”. 林原美術館. 2018年5月20日閲覧。
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- 2 督姫の概要
- 3 督姫の生年について
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