安部信操
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政2年(1790年) |
死没 | 文政8年4月29日(1825年6月15日) |
改名 | 安三郎(幼名)、信操 |
戒名 | 高徳院義峯宗看 |
墓所 | 埼玉県深谷市の源勝院 |
官位 | 従五位下、摂津守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 武蔵岡部藩主 |
氏族 | 安部氏 |
父母 | 父:安部信享 |
兄弟 | 弥一郎、金弥、信操、信孝、信順、山本昌義 |
妻 |
正室:分部光賓の娘 継室:三浦前次の娘 |
子 | 信任、信古、信察、村瀬重教、娘(井上正民室) |
生涯
寛政2年(1790年)、第8代藩主・安部信享の三男として生まれる。兄の弥一郎や金弥が早世したため、生まれた年の7月に世子に指名される。文化3年(1806年)8月5日に父の隠居により家督を継ぎ、12月に従五位下・摂津守に叙位・任官する。
文化4年(1807年)2月と文化5年(1808年)2月に江戸城和田倉門番に任じられ、文化5年(1808年)4月には田安門番、文化9年(1812年)に半蔵口門番、文化10年(1813年)2月から7月までは大坂加番などを歴任し、その後も一橋門番、馬場先門番などを歴任した。
文政8年(1825年)4月29日(異説として5月14日)に死去した。享年36。跡を長男・信任が継いだ。
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