本多政武とは? わかりやすく解説

本多政武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 05:25 UTC 版)

 
本多 政武
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 慶長3年(1598年
死没 寛永14年7月13日1637年9月1日
別名 左京亮、大学(通称)、利家(別名)
戒名 雲竜院殿前拾遺因州大守空休道一居士
官位 従五位下、因幡守
幕府 江戸幕府
大和国高取藩
氏族 尾張本多氏
父母 父:本多俊政、母:猶原左衛門尉の娘
正室:板倉重宗の娘
男子(夭折)、女子(九鬼良隆正室)、女子(内藤信充室)
テンプレートを表示

本多 政武(ほんだ まさたけ)は、大和国高取藩の第2代藩主。

慶長3年(1598年)、初代藩主・俊政の長男として生まれる。慶長15年(1610年)、父の死去により家督を継ぐ。慶長19年(1614年)からの大坂の陣では徳川方に与し、翌年の夏の陣では道明寺口の戦いで武功を挙げた。囲碁の名人でもあり、慶長15年(1610年)には囲碁本因坊戦で勝利している。また、大坂城修築工事や高野山大塔造営奉行などで活躍した。寛永9年(1632年)には徳川秀忠の遺物である銀300枚を拝領している。

寛永14年(1637年)7月13日に死去した。享年40。嗣子がなかったため、高取藩本多家は無嗣改易となった。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「本多政武」の関連用語

本多政武のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



本多政武のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの本多政武 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS