本多政行とは? わかりやすく解説

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本多政行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/20 10:01 UTC 版)

本多政行

本多 政行 (ほんだ まさゆき、享保13年11月14日1728年12月14日)- 寛政9年11月23日1798年1月9日)) は、加賀藩の年寄、加賀八家本多家第6代当主。

父は第2代当主本多政長の四男政冬。養父は本多政昌。正室は横山貴林の娘。子は本多政成、本多政房、多賀正直室、前田主計室、西尾明義室。官位は従五位下・安房守、遠江守。

生涯

享保13年(1728年)11月14日、本多家第2代当主政長の四男政冬の子として金沢に生まれる。延享5年(1748年)、養父政昌の死去により家督と5万石の知行を相続する。寛延元年(1748年)12月、従五位下・安房守に叙任。宝暦3年(1753年)、藩主前田重靖の家督相続の御礼言上の際に、江戸城で将軍徳川家重に拝謁する。宝暦6年(1756年)、安房守を遠江守と改める。宝暦7年(1757年)、金沢城代となる。宝暦12年(1762年)、安房守に復す。寛政8年(1796年)2月、隠居して家督を嫡男の政成に譲る。寛政9年(1797年)11月23日没。政房は一族の旗本[注釈 1]・本多政寛の婿養子となった[1]

脚注

注釈

  1. ^ 本多政重の三男・本多政朝が、榎本藩主家(本多大隅守家)の名跡を継ぐ形で幕臣に召し出されて成立した家。4500石。

出典

  1. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第六百九十三「本多」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.712

参考文献




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