香宗我部親泰とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 軍人・武士 > 武士・騎士 > 戦国武将 > 香宗我部親泰の意味・解説 

香宗我部親泰(こうそかべ ちかやす) 1543~1593


香宗我部親泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 15:19 UTC 版)

 
香宗我部 親泰
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文3年(1543年
死没 文禄2年12月21日1594年2月11日[1][2]
改名 弥七郎(幼名)→香宗我部親泰
別名 受領名:内記、安芸守
戒名 瑞松院殿明彭孤仙大居士
墓所 宝鏡寺跡(高知県香南市
主君 長宗我部国親元親
氏族 長宗我部氏香宗我部氏
父母 父:長宗我部国親、母:不明
養父:香宗我部親秀
兄弟 長宗我部元親吉良親貞親泰島親益、本山夫人(本山茂辰室)、女(池頼和室)、養甫尼(波川清宗室)
正室:香宗我部秀通の娘
親氏貞親
テンプレートを表示

香宗我部 親泰(こうそかべ ちかやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将長宗我部氏の家臣。長宗我部国親の三男。

生涯

天文3年(1543年)、長宗我部氏第20代当主・長宗我部国親の三男として生まれる[3]幼名弥七郎弘治4年(1558年)に父の命によって香宗我部親秀の養子となった[3]永禄12年(1569年)に安芸国虎が滅亡したため、安芸城主となる[3]

その後は兄・元親に従って各地を転戦する[4]。親泰は阿波平定に尽力し、阿波海部城を拠点にして各地を転戦し、天正7年(1579年)に新開道善富岡城を奪取した[4]。親泰は外交にも秀でており、天正3年(1575年)に長宗我部信親烏帽子親織田信長が務め、天正8年(1580年)6月[2]には渡海して安土城で織田信長と拝謁し、三好康長三好氏との和睦を求めたりしている[4]

天正10年(1582年)6月の本能寺の変後、中富川の戦い十河存保を破り、天正11年(1583年)には阿波木津城を攻略するなど、兄の四国統一に尽力した[5]

信長の死後も柴田勝家徳川家康と通じて四国平定を有利に進めたことは、全て親泰の手腕によるものである。織田氏・徳川氏など諸大名の窓口となっており、親泰宛に書状が送られている。天正13年(1585年)の豊臣秀吉四国征伐では阿波牛岐城を守備したが、木津城が豊臣軍に落とされたため、城を放棄して土佐に帰国した[6]

香宗我部親泰墓
(高知県香南市の宝鏡寺跡)

しかし天正20年(1592年)、文禄の役に赴く途上にあった嫡男・親氏が急死、自身も朝鮮半島に赴く途上の文禄2年(1593年)12月21日に長門で兄に先立って急死した[7]享年51。中山田泰吉(香宗我部親秀の弟・秀通[注釈 1]の子)に跡を継がせる話も出たが、結局跡は次男・貞親が継ぎ、泰吉はその後見となった。吉良親貞同様、その死は長宗我部氏にとって大きな痛手であった[8]

人物像

親泰は元親の分身として四国各地を転戦し、よく補佐を務めた[7]。親泰の死で元親を補佐・諫言できる者がいなくなり[7]、その後元親は暴走を繰り返して長宗我部家は衰退し、元親の没後には改易となる。

家臣

脚注

注釈

  1. ^ 親泰の入嗣に反対したため、親秀に殺害された。

出典

  1. ^ 長宗我部時代年表』(高知県、1914年)p.4
  2. ^ a b 山本 1989, p. 250.
  3. ^ a b c 川口 2008, p. 133.
  4. ^ a b c 川口 2008, p. 134.
  5. ^ 川口 2008, p. 135.
  6. ^ 山本 1987, p. 130.
  7. ^ a b c 川口 2008, p. 136.
  8. ^ 山本 1987, p. 162.

参考文献


香宗我部親泰(こうそかべ ちかやす)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)

センゴク」の記事における「香宗我部親泰(こうそかべ ちかやす)」の解説

通称安芸守。国親の三男で元親の弟。長宗我部家親族である香宗我部家を継承している。

※この「香宗我部親泰(こうそかべ ちかやす)」の解説は、「センゴク」の解説の一部です。
「香宗我部親泰(こうそかべ ちかやす)」を含む「センゴク」の記事については、「センゴク」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「香宗我部親泰」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「香宗我部親泰」の関連用語

香宗我部親泰のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



香宗我部親泰のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
戦国武将覚書戦国武将覚書
Copyright (C) 2025 戦国武将覚書 All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの香宗我部親泰 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのセンゴク (改訂履歴)、戦国無双シリーズ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS