安芸国虎とは? わかりやすく解説

安芸国虎(あき くにとら) ????~1569

備後守
◇室:一条房基女、源康政女 子安芸又六郎(千寿丸)
 土佐七雄の1氏。元は安芸郡司務めたほどの家柄であり、祖は壬申の乱の時、土佐流され蘇我赤兄というが、諸説あり確かなところはわからない安芸氏は京と海産物等を取り引きして裕福な豪族であり、国虎も剛勇知られるであったが、同じ七雄長宗我部氏攻められ、矢流崩れにて敗戦した。最期家中離反し、自らの命と引換降伏自害した

安芸国虎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 00:27 UTC 版)

安芸 国虎(あき くにとら)は、戦国時代武将土佐国国人


  1. ^ 出自に関しては他説も多い。
  2. ^ 夜須は本来は安芸氏の領地だったが、永禄初期に長宗我部氏との間で領有争いが起きていた。
  3. ^ 安芸郡芸西村。
  4. ^ 「先年不慮の事出来て、互に確執に及び候ひぬ。然りと雖も、戦国の習なれば、必ずしも是を始終の怨敵といふべきに候はず。殊更一条殿の御扱にて合体せしむる上は争でか宿意あるべき。然るに近年中郡の筝劇に依りて、終に会釈に能はず。猶隔意あるに似たり。近々岡豊へ御来臨候へ。対面を遂げ、互に天神地祇を驚かし、誓約を固くして、骨肉同胞の睦をなし、過失相親しみ、患難相救ひ候べし」(『土佐物語』)。
  5. ^ 「互に領分の境に出で誓約をなさんといははさもあらんか。然るに我を岡豊に来れとは降参せよとにや」と言い、家格や所領の優越を誇ったという(『土佐物語』)。
  6. ^ 黒岩越前は一条の援軍など頼むに足らず、しかも伊予西園寺氏と敵対しているので軍は動かせないと実情を説いたが国虎は無視した。
  7. ^ 『安芸家譜略紗』では譜代の横山紀伊・岡林将監・専当氏・専光寺右馬允・小川新左衛門・小谷左近右衛門らが裏切り、北の搦手から元親軍を導いたという。
  8. ^ 老臣の有沢石見が殉じたのを初め、諫言を無視された黒岩越前も正室を一条家に送り返したあとの国虎の初七日に自殺し、北川玄蕃は国虎の死後に元親の軍と戦って戦死した。


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