一条兼定とは?

一条兼定(いちじょう かねさだ) 1543~1585

万千代 康信 パウロ 左近衛少将 左近衛中将 権中納言
◇父:一条房基 養父一条房通 室:宇都宮豊綱女、大友義鎮女 子一条内政
 土佐国司職。当初政事軍事に精を出していたが、やがて放蕩好み日夜酒宴遊興にふけるようになった為、家臣らに豊後追放された。その後豊後大友義鎮に兵を借り伊予から再度土佐侵攻試みたが、失敗した。42歳で病死

一条兼定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/03 09:55 UTC 版)

一条 兼定(いちじょう かねさだ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての戦国大名公家土佐国司であり、キリシタンでもある。土佐一条氏の事実上の最後の当主。従三位一条房基の子。




  1. ^ 結城 1999, p. 231.
  2. ^ 「性質軽薄にして常に放蕩を好み、人の嘲を顧みず、日夜只酒宴遊興に耽り、男色女色し諂をなし、又は山河に漁猟を事とし、軽業力業異相を専ら」(『土佐物語』)。「形義荒き人にて、家中の侍共、少しの科にも扶持を放し、腹をきらせなどせらる」(『元親記』)。「軍国の大事はすてて問はず」「将を御するの道は督責を加ふるに在りとて刑罰を苛酷にし」(『海南志』)。
  3. ^ 石野弥栄 「戦国期南伊予の在地領主と土佐一条氏」、市村高男編 『中世土佐の世界と一条氏』 高志書院、2010年。ISBN 978-4-86215-080-6 
  4. ^ 朝倉慶景「天正時代初期の土佐一条氏」『土佐史談』166、167、172、175号。
  5. ^ 秋澤繁「織豊期長宗我部氏の一側面-土佐一条氏との関係(御所体制)をめぐって-」『土佐史談』215号、2000年。/所収:平井上総編 『長宗我部元親』 戎光祥出版〈シリーズ・織豊大名の研究 第一巻〉、2014年。ISBN 978-4-86403-125-7 
  6. ^ 結城 1999, p. 230.


「一条兼定」の続きの解説一覧



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「一条兼定」の関連用語

一条兼定のお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



一条兼定のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
戦国武将覚書戦国武将覚書
Copyright (C) 2020 戦国武将覚書 All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの一条兼定 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2020 Weblio RSS