高森城 (伊予国喜多郡)とは? わかりやすく解説

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高森城 (伊予国喜多郡)

(梶谷景則 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/15 02:31 UTC 版)

高森城
愛媛県
別名 鍛冶谷城
城郭構造 山城
主な城主 梶谷景則、梶谷景雄
廃城年 天正13年(1585年
位置 北緯33度30分15.0秒 東経132度30分32秒 / 北緯33.504167度 東経132.50889度 / 33.504167; 132.50889
地図
高森城
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高森城(たかもりじょう)は、愛媛県大洲市に存在した日本の城山城)。

概要

平地川北岸の標高190mの高森山山頂にあり、東西35m、南北43mの規模だった。

宇都宮房綱がいた萩森城の支城で、天文年間には家臣・梶谷伊豆守景則の居城となった。天正4年(1576年)に大野直之によって当城を奪われた伊豆守は中務少輔景雄、直右衛門景晴、修理亮良景の三兄弟を連れて脱出し、湯築城河野通直の元へ逃れた。 景則は息子たちに城を奪還することが最大の供養と言い残し、息を引き取ったが、天正6年(1578年)には3人の息子達が風雨に紛れて奇襲し、城を奪還して河野通直から感状を受けている。 天正13年(1585年)の四国の役小早川隆景の進攻を受けて開城し、廃城となった。

参考文献

関連項目




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