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正宗敦夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/19 09:38 UTC 版)

正宗 敦夫
人物情報
生誕 (1881-11-15) 1881年11月15日
日本岡山県和気郡
死没 1958年11月12日(1958-11-12)(76歳没)
学問
研究分野 国文学
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正宗文庫

正宗 敦夫(まさむね あつお、明治14年(1881年11月15日[1]戸籍上は11月30日) - 昭和33年(1958年11月12日[1])は、日本国文学者歌人

経歴

岡山県和気郡穂浪村(現在の備前市穂浪)生まれ[1]小説家文学評論家正宗白鳥の実弟。東京を活動の拠点とした兄とは違い郷里で家業を営み、その傍ら作歌をし、国文学の研究を行った。1897年(明治30年)から井上通泰に師事し[1]島木赤彦斎藤茂吉などとも親交を持った。1909年(明治42年)、歌文珍書保存会を主宰し、古書・稀少本を収集・刊行を行った[1]1925年(大正14年)与謝野寛与謝野晶子夫妻と「日本古典全集」シリーズを刊行する[1]。1927年(昭和2年)、株式会社日本古典全集刊行会を設立するが倒産する[1]。しかし、長島豊太郎と協力して「日本古典全集」の刊行を継続した[1](後年復刻版が刊)。

1931年(昭和6年)『万葉集』の歌のすべての用字をまとめた『萬葉集總索引』を編集[1][注釈 1]。また1936年(昭和11年)財団法人正宗文庫を設立[1]、自宅の敷地内に文庫を建設。正宗文庫は貴重な資料庫として現存している[2]

1952年(昭和27年)ノートルダム清心女子大学教授[1]。1954年(昭和29年)岡山県文化賞受賞[1]

刊行

歌碑

正宗白鳥生家跡近くの住吉神社岡山県備前市穂浪)境内に正宗敦夫の歌碑がある[3]

家族・親族

兄弟に作家の正宗白鳥、植物学者の正宗厳敬、画家の正宗得三郎がいる。

脚注

注釈

  1. ^ 現在では、『万葉集総索引 単語篇』(平凡社、1974年)、『万葉集総索引 漢字篇』(同前)で読むことができる。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 川崎剛志・小川剛生・神作研一『正宗敦夫と正宗文庫』国文学研究資料館就実大学人文科学部、2023年9月、6-7頁。 
  2. ^ 第3回正宗文庫センター”. 国文学研究資料館. 2023年9月19日閲覧。
  3. ^ 岡山文庫 207 備前を歩く. 日本文教出版. (2000). p. 53-54 

参考文献

  • 正宗白鳥と敦夫[リンク切れ]」『岡山県総合文化センターニュース』第374号(1995年11月)および第375号(同年12月)。
  • 新美哲彦「正宗敦夫について[リンク切れ]」『ノートルダム清心女子大学日本語日本文学科ブログ』。

関連項目

外部リンク



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