高祖城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 06:32 UTC 版)
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高祖城のある高祖山
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別名 | 高祖山城、原田城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 原田種継、 原田種頼 |
築城年 | 建長元年(1249年) |
主な城主 | 原田氏 |
廃城年 | 天正15年(1588年) |
遺構 | 石垣、土塁、堀切 |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯33度32分54秒 東経130度16分07秒 / 北緯33.54833度 東経130.26861度座標: 北緯33度32分54秒 東経130度16分07秒 / 北緯33.54833度 東経130.26861度 |
地図 |
高祖城(たかすじょう)は、福岡県糸島市高祖(筑前国怡土郡の高祖山)にあった日本の城。
概要
建長元年(1249年)、原田氏の原田種継、原田種頼父子の築城。 怡土城の遺構を利用し、高祖山頂上に上ノ城(本城)と下ノ城がある。
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上ノ城
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下ノ城
歴史
一時少弐氏に奪われたが、最終的には大内氏の援助により原田氏が奪還した。 天正15年(1588年)豊臣秀吉の九州征伐により、城主原田信種は所領没収され廃城となる。
参考文献
- 福岡県郷土史叢刊『糸島郡史』(1927年)
- 児玉琢『改正原田記』(1817年)
関連項目
外部リンク
- 筑前・高祖山城
- (187) 高祖山城 - 福岡県の城址 - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分)
高祖城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 06:58 UTC 版)
詳細は「高祖城」を参照 怡土城が廃城になった時期は不明だが、この遺構を利用して、建長元年(1249年)、原田種継・種頼父子が高祖城を築城した。山頂には上ノ城(本丸)と下ノ城(二ノ丸)がある。山腹には高祖城主原田氏の崇敬が厚かった高祖神社と原田家菩提寺の金龍寺がある。
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