第4望楼(古城礎石群)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 05:43 UTC 版)
城域北辺に位置する(北緯33度33分22.61秒 東経130度14分58.47秒 / 北緯33.5562806度 東経130.2495750度 / 33.5562806; 130.2495750 (第4望楼(古城礎石群)))。『改正原田記』では「古城」として記載される。礎石は認められないが(元々無しか)、奈良時代-平安時代の柱穴群が認められる。また中世期の溝が検出されているほか、周辺では中世期の郭・堀も認められており、中世に高祖城の支城(高来寺城)として再利用されたと推測される。出土遺物としては瓦(平瓦・熨斗瓦・鬼瓦)片・土器片がある。
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