〒386-0026 長野県上田市二の丸
〒460-0032 愛知県名古屋市中区二の丸
〒860-0008 熊本県熊本市中央区二の丸
二ノ丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 14:56 UTC 版)
「SAMURAI 7」の記事における「二ノ丸」の解説
本丸よりも小型の戦艦。第1話の冒頭にのみ登場するが、カンベエにより一刀両断にされている。
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二ノ丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 22:37 UTC 版)
二ノ丸屋形 現在の奈良県立郡山高等学校が建っている一帯で、松平忠明時代に整備され、城主の居館があった。藩の政庁もここにあり、巨大な御殿群を形成していた。(上記郡山城旧観図も参照) 新宅曲輪 新屋敷が建てられたことに関係する名称であると思われているが、本多忠平時代にはすでに存在していた名称で、古くからあったと考えられている。別名緑曲輪とも呼ばれている。 御厩曲輪 もともとは新宅曲輪であったが、松平忠明時代に別の場所にあった厩を、新宅曲輪の北半分に移し、厩を2棟と馬場を設けた。 松倉曲輪 二ノ丸屋敷や新宅で消費される米蔵が建っていた一画。
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二ノ丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:53 UTC 版)
入国時は屋敷地で本丸の帯曲輪の様な存在であった。慶長期に中之門が置かれ、また寛永期には拡張されて二ノ丸御殿が造られる。内部は石垣で複数に区画がなされており、下乗門から本丸へ向かうには中之門を、二ノ丸御殿へ向かうには銅門を、西ノ丸方面には寺沢門を通る必要があった。大正時代に二ノ丸と三ノ丸の間にあった堀が埋め立てられている。
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二ノ丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 06:15 UTC 版)
二ノ丸は城の南側に位置し、東西92間(約165.6m)、南北29間(約52.2m)であった。本丸の南側より二ノ丸に通じる幅約7メートルの土橋があり、その東西両側に堀を遮る石垣があったことが発掘により確認された。
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二ノ丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 17:24 UTC 版)
もとは三の丸東南隅にあったが、安政の大地震の後、三層櫓が倒壊した後に建てられた。明治廃城の時に移築されるが、その後再び城内に移される。もともとあった荒和布櫓(あらめやぐら)にかわって、三の丸にあった太鼓櫓が移築された。 現在は、江戸時代の建造物がそのまま城址に残っている。その後、明治元年に民間に払い下げられ、明治10年掛川町に寄付、明治31年に掛川市役所建設のため掛川城公園本丸に移築。[要出典] 2012年からは将棋の王将戦七番勝負の第1局が二ノ丸茶室で行われるのが恒例となっている。
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