二ノ丸御殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:53 UTC 版)
1636年(寛永13年)に最初に建てられた御殿は小堀遠州の手によるもので、表向の機能が省略された極めて遊興性の高いものであった。南西にある築山を背後に有し白鳥濠と繋がる池の中には能舞台(水舞台)があり、対岸の畔にある御座や濠に突き出た釣殿から観覧することができた。中央は御殿群があり、東側にも池や築山、池の中島にある御亭や御茶屋・御囲・学問所や御文庫があった。 しかしこの御殿は5年後には早くも取り壊され、1643年(寛永20年)には本丸御殿を簡略化した御殿が完成する。この御殿も明暦の大火で焼失し、越谷別殿を移築している。この後も1704年(宝永元年)、1760年(宝暦10年)に工事や再建が行なわれたが、1867年(慶応3年)に焼失してその歴史を終えることになる。
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