道帳の記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/17 15:43 UTC 版)
慶安2年(1649年)に成立した肥前国の道帳「神代之古城」条には次のことが記されている。 山城である。 高さ(城下よりの比高)は9間(1間は、6.5尺とすれば約2メートル)あるいは6~7間の間である。 本丸の規模は、南北45間、東西27間である。 二ノ丸の規模は、南北70間、東西104間である。 城の四方、および本丸・二ノ丸の間に空堀跡がある。 本丸に1ヵ所、二ノ丸に3ヵ所の井戸がある。 城の四方は竹林で、城内側は畑として利用されている。 惣構えを構成する防禦施設等はない。 城の北は遠干潟で、船を繋留することができない。 城より高い山は周辺にはない。また、温泉嶽(雲仙岳)より2里以上離れている。 城の東に小川がある。 東・南・西が平地で、東・南が浅田、西は若干深田である。
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