二ツ目から人気爆発まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 02:32 UTC 版)
「三遊亭歌笑」の記事における「二ツ目から人気爆発まで」の解説
1941年3月、(1942年とも)二ツ目昇進、かつて師匠が名乗った歌笑を襲名する。後に寄席に出演するため、寄席に背を向けていた金馬門を離れ、二代目三遊亭円歌門に移る。人形町末広(石原席亭)から認められ始めた、戦況が刻一刻と悪くなるこの頃には頭角を表し、周りから開催に反対もされた柳家小きん、四代目柳亭痴楽との「二ツ目」だけで開かれた三人会(大塚鈴本)を大入りにする。 以下は『歌笑純情詩集』より「我生い立ちの記」(冒頭) 我、垂乳根(たらちね)の胎内より出(いで)し頃は長谷川一夫も遠く及ばざる眉目秀麗なる男の子なりし世の変わりともともに我が美貌も一変し今や往年のスクリーンフランケンシュタイン第二世の再現を思わせる如く豹変せりされど我を育みしふるさとは都を離れること三十五里南奥多摩絶景の地なり
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