赤瀬川隼とは? わかりやすく解説

あかせがわ‐しゅん〔あかせがは‐〕【赤瀬川隼】

読み方:あかせがわしゅん

19312015小説家三重生まれ本名、隼彦(はやひこ)。小説家美術家である赤瀬川原平(げんぺい)の兄。銀行員などを経て作家活動に入る。「白球残映」で直木賞受賞。特に野球小説健筆をふるう。他に「球は転々宇宙間」「潮もかなひぬ」「ホモ・アピアランス」など。


赤瀬川隼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/10 08:13 UTC 版)

赤瀬川 隼(あかせがわ しゅん、本名:赤瀬川 隼彦〈あかせがわ はやひこ〉[1]1931年11月5日 - 2015年1月26日[2])は、日本の小説家

生涯

三重県四日市市生まれ[3]。10歳から18歳までの青少年期を大分市で過ごす[3]。大分第一高等学校(現大分県立大分上野丘高等学校)卒業。旧制中学の同級生に、磯崎新がいた。

住友銀行への16年の勤務[4]を経て、ラボ教育センターの運営会社のテックに勤務[5]し、のちに言語交流研究所(テックから、榊原陽らが独立して作ったヒッポファミリークラブの関連組織)に勤務し[6]主に広報の仕事に従事した[7]。その後は全集物のセールスマンなどに従事[8]

1983年に『球は転々宇宙間』で第4回吉川英治文学新人賞を受賞し本格的に作家デビュー[3]

1983年、「捕手はまだか」で第88回直木賞候補。1984年、「潮もかなひぬ」で 第90回直木賞候補。1985年、「影のプレーヤー」第92回直木賞候補。1988年、「オールド・ルーキー」「梶川一行の犯罪」「それぞれの球譜」で第98回直木賞候補。

『白球残映』にて第113回直木賞受賞。63歳8ヶ月での受賞は歴代4番目に高齢である。

中学校の国語教科書にも掲載されている『一塁手の生還』をはじめ、野球をテーマにした小説が多い。

2015年1月26日、肺炎のため死去[9]。83歳没。

係累

帽子作家の赤瀬川晴子は妹。2014年に死去した芥川賞作家で芸術家赤瀬川原平(尾辻克彦)は。長女は『人麻呂の暗号』の著者である藤村由加の一人[10]

言語交流研究所の中野矢尾(ヒッポファミリークラブ創設以来のフェロウで、トランスナショナル・カレッジ・オブ・レックス発足と同時にシニア・フェロウ)の研究を参考に、赤瀬川は『人麻呂の暗号』に先行して、「万葉集は朝鮮語で読解できる」というアイディアをもとにした短編ミステリ「潮もかなひぬ」を1983年に発表、1985年に長編『潮もかなひぬ』として刊行した[11]

『人麻呂の暗号』などの藤村由加の著書の研究についても、中野矢尾の支援をうけており、中野は作中に「アガサ」という名前で登場する[12]

弟の赤瀬川原平も、言語交流研究所(ヒッポファミリークラブ)の理事でもあり、またヒッポ創設者の榊原陽とは、前身のラボ教育センター時代からの交流があった[13]

著書

  • 『映画館を出ると焼跡だった』草思社 1982「焼跡の友人 映画だけが青春だった」文春文庫
  • 球は転々宇宙間文芸春秋 1982 のち文庫
  • 『消えた外套』講談社 1984
  • 『影のプレーヤー』文芸春秋 1985 「捕手はまだか」文庫
  • 『さすらいのビヤ樽球団』講談社 1985 のち文庫
  • 『潮もかなひぬ』文芸春秋 1985 のち文庫
  • 『ブラック・ジャパン』新潮社 1985 のち文庫
  • 『青磁のひと』新潮社 1986
  • 『花子三十、番茶も出花』潮出版社 1986
  • 『明治村幻影』中央公論社 1986
  • 『夢スタジアム スポーツショートノヴェル』徳間書店 1986
  • 『王国燃ゆ 小説大友宗麟』講談社 1987 のち学陽書房人物文庫
  • 『梶川一行の犯罪』文芸春秋 1987 「深夜球場」文庫
  • 『助っ人道中球栗毛』サンケイ出版 1987
  • 『幻影の街』集英社 1989
  • 『恋人たちの午後』文芸春秋 1989
  • 『ダイヤモンドの四季』新潮社 1989 のち文庫
  • 『雨に打たれて』実業之日本社 1990
  • 『野球の匂いと音がする』筑摩書房 1990
  • 『獅子たちの曳光 西鉄ライオンズ銘々伝』文芸春秋 1991 のち文庫
  • 『ビール片手に野球談義』実業之日本社 1991
  • 『ラジオデイズの彼方へ』筑摩書房 1991
  • 『朝焼けの賦 小説・村田新八講談社 1992 のち文庫
  • 『それ行けミステリーズ』文芸春秋 1992 のち文庫
  • 『女は挑む男は惑う 赤瀬川隼の「女」再発見』主婦と生活社 1993
  • 『虹のスコアボード』実業之日本社 1993
  • 『夢のあかし』徳間書店 1993
  • 『あ、またシネマ彗星だ』キネマ旬報社 1995
  • 『影たちの饗宴 名画座立見席』実業之日本社 1995
  • 白球残映』文芸春秋 1995 のち文庫、小学館P+D BOOKS
  • 『ミューズの女神』大成建設 1995
  • 『四人の食卓』集英社 1995
  • 『みんなで一人旅』文芸春秋 1996
  • 『少年は大リーグをめざす』集英社文庫 1998
  • 『天紙風筆』新人物往来社 1998
  • 『漣の家 長編ロマン』実業之日本社 1999
  • 『つれづれつらつら 暮らしの散歩道』興陽館新書 2000
  • 『人は道草を食って生きる』主婦の友社 2001
  • 『冬晴れの街』実業之日本社 2001
  • 『秋日和』光文社 2003 のち文庫
  • 『甚五郎異聞』日本放送出版協会 2004

脚注

  1. ^ “直木賞作家の赤瀬川隼さんが死去”. 産経ニュース. (2015年1月27日). https://www.sankei.com/life/news/150127/lif1501270018-n1.html 2021年5月6日閲覧。 
  2. ^ “赤瀬川隼さん死去「白球残影」で直木賞受賞”. ハフポスト. (2015年1月27日). https://m.huffingtonpost.jp/2015/01/27/akasegawa-shun-passed-away_n_6559404.html 2020年2月28日閲覧。 
  3. ^ a b c 赤瀬川 隼”. 大分県ホームページ. 2022年10月25日閲覧。
  4. ^ 『人は道草を食って生きる』P.97
  5. ^ 『潮もかなひぬ』(文春文庫)著者紹介
  6. ^ 『宝石』1986年6月号「宝石図書館」
  7. ^ 『人は道草を食って生きる』P.97
  8. ^ 『人は道草を食って生きる』P.134
  9. ^ 直木賞作家の赤瀬川隼さんが死去 産経新聞 2015年1月27日閲覧
  10. ^ 川本武ほか『本棚が見たい!2』p.48(ダイヤモンド社1996年
  11. ^ 『潮もかなひぬ』(文春文庫)後書き
  12. ^ アガサを偲んで
  13. ^ ヒッポの活動を応援してくださる先生方



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